rory / 仏教ロック!のプラモデル日記

プラモデル作成の過程を載せるつもりですが、気ままに書きます

徒然MMT[2] - NotionをMacroeconomicsの翻訳ノートに使う!

承前

ちびすけさんに触発されて、購入して読まずにいたMacroeconomicsを読み始めた。

と言っても、kindle版をdeepLで翻訳して読んでいるのだけど、以下では最終的にNotionに翻訳ノートとしてまとめている現在の読み方・まとめ方について記載してみる。

いや、kindleで読めよ、と言われればそれまでなのだけど、ワシの英語力ではkindleそのままでは読み進められないので、翻訳しつつ~語句のチェックしつつ~その過程で内容にもきちんと目を通し~翻訳ノートを作る~という工程を経て読むスタイルに落ち着いた。手を動かしながら読むので、単に読むよりも記憶に残っている感じがする点も良い。

ということで、以下はほとんどMMTは関係ない。

kindle版からNotionに書き起こしを行い、翻訳ノートを作る!

冒頭まとめ

  • kindleをPCOTを使ってOCR
  • OCR後のテキストをtyporaで開いて読み取りミス訂正。およびmarkdown
  • deepLに流して日本語化
  • 内容を読みながら日本語訳もチェック。体裁を整える
  • Notionに2段組で記載
  • Macroeconomicsの翻訳ノートの完成!

作業詳細

kindleの英文テキストをPCOTを使ってOCR

使ったことがある人はわかると思いますが、kindleはコピー制限がかけられていて、一定以上の文字数をコピペするとそれ以上コピーできないようになっています。

ここでPCOTの出番です。PCOTは主にゲーム画面の翻訳に利用されているツールのようですが、スクリーンキャプチャの要領で画面に映っているものならなんでもOCRかつ翻訳することができます。

PCOT基本画面キャプチャ
PCOTで楽々OCR & 翻訳

特に、参考サイトではWindows 10 OCRをインストールして用いていますが、この精度がかなり優秀でkindleの英語のOCR読み取り精度の体感は99.95%といったところです。

細かい設定は参考記事を参照してください。

もちろん、半自動とは言え、kindleのページをめくってPCOTのキャプチャショートカット押下、kindleのページをめくってPCOTのキャプチャショートカット押下…という作業を続けるので、書籍全体をキャプチャとなると少々骨が折れます。ただし、あくまで内容に目を通しながら読み進めた上で翻訳ノートを作成するのが目的なので、ワシは章ごとでの作業を行っています。こうすると1回の翻訳ページ数は多くても20-30ページ程度ですのでそこまで手間ではありません。

1点、追加の注意するとすれば、kindleの機能にある、他のユーザーのマーカーを表示する機能は切っておくのが良いです。OCRの邪魔になってしまいます。

kindleオプション画面キャプチャ
kindleオプションからポピュラー・ハイライトをオフにする

OCR後のテキストをtyporaで開いて読み取りミス訂正。およびmarkdown

PCOTはデフォルトではgoogle翻訳してくれますし、また、deepLとも連携してくれますが、ワシはこれを使いません。PCOTはあくまでOCRツールとしてのみ利用します。最終的にNotionでの翻訳ノートを作るという目的に照らして、ワシはここでmarkdownエディタであるtyporaを使ってmarkdown化します。

typoraはワシの単なる好みです。長らくフリーのmarkdownエディタでしたが、現在は有料化($14.99)されているため、何のエディタを使っても構いません。それ以外だと何がいいのかよくわかりませんが、Visal Studio CodeとかAtomとかでしょうか。

typora画面キャプチャ
markdownでちょっと体裁を整えるだけ。スペルチェックを補助にしてOCR読み取りミスも発見して修正

markdown化といっても、「#」をつけて見出しにする、「-」をつけてリスト化する、「****」で括って強調、「>」をつけて引用とする、程度のレイアウト編集作業です。typoraではスペルチェック機能も付いていますのでこれも利用しつつ、この段階でOCR読み取りミスも訂正します。

deepLに流して日本語化。内容に目を通しつつ、体裁を整える

体裁を整えたら、markdown化した文章そのままをdeepLに流します。markdown化のために付けた文頭の「#」「-」「>」、文中の「」はほとんどの場合日本語訳でもそのまま出力される=日本語訳もほぼそのままmarkdownとして利用できる、という点がミソです。文中の「」はうまくいかないケースもありますが、そのあたりは後で修正でも構いません。

deepL画面キャプチャ
markdown用の記号はそのまま残して翻訳してくれるので、翻訳後の文章もほぼそのままmarkdownとして利用可能

ワシはこの段階で内容に目を通し、読んでみておかしな翻訳については英英辞書を調べたりなどして適宜修正を加えていきます。deepL上で修正するのは、deepLの単語登録を利用するためです。一旦単語登録すれば、次回以降の翻訳では登録された翻訳が自動適用されます。

Notionに2段組でコピペ

英文、日本語文ともに体裁もほぼ完璧なmarkdownが出来上がったので、これをNotionに貼り付けていきます。markdownを貼り付ければ見出しなどの文章構成はそのまま維持されてNotionに貼り付けられます。さらに、Notionが良かったのは2段組が簡単にできること。マウスでD&Dすることで英日の2段組レイアウトが簡単に作成できます。

Notion2段組画面キャプチャ
Notionならキレイな英日2段組翻訳ノートが簡単に作れる

なお、マウス操作で1段落ごとにきれいに並べるのはさすがに骨が折れるので、ワシは1小節単位での2段組としています。この程度であればそれほど時間はかかりません。キーボード操作でパパっと2段組ができると嬉しいのですが、現状、Notionではマウス操作のみに対応しています。

ついでに画像も(あくまで個人利用なので)kindle画面を丸ごとキャプチャしてNotionに貼り付けてしまいます。無料プランですと、ファイルサイズ5MBまでの制限はありますが容量制限もないので画像程度なら気軽に貼り付け可能です。

Notion画面キャプチャ2
Notionに画像も貼り付け

さらに、ブロック単位での強調表示も可能なので、例えば文章途中で挿入されるコラムなどを見やすく表現することも可能です。

Notion画面キャプチャ3
ブロック単位での強調表示でコラムなども見やすく表現可能

以上の操作によって英語、日本語ともにmarkdown化された文章が出来上がりました。

Macroeconomicsの翻訳ノートの完成!

単にkindleで読むよりは相当手間はかかっていますが、完全に自由に編集できてしまう教科書の文章を手に入れることができました。Notionではmarkdownでは表現できない文字色やマーカー(文字の背景色)の設定も可能ですし、範囲選択してコメントを残すこともできます。

また、ちょっとだけ手間なのですが、インライン、ブロック単位ともにtex拡張の数式表示に対応していますので、Notion上でさらに編集すれば非常にきれいに表示される数式を得ることも可能です。

Notion画面キャプチャ4
数式はtex拡張でキレイだしマーカー編集などもし放題。コメントも簡単

そしてもちろん、文章校正することが目的なのではなく、あくまで読むことが目的での作業だったのですが、ここまでの過程でしっかりと文章に目を通すことができている――むしろ、手を動かしながら読むためなのか、紙媒体やkindleで単に目を通すよりもしっかりと読めているように、個人的には感じるところです。

速度的には、1章だいたい50000-70000文字なのですが、これを読みつつNotionに貼り付けるのに60-90分程度といったところでしょうか。決して早くはないと思いますが、大学の講義で1章ずつ丁寧に読み進めていると考えれば、そんなに悪くないスピードのように考えています。

以上、半日程度試行錯誤して編み出した通読しつつの翻訳ノート作成方法ですが、もっと良い方法やサービスがあるよ!という方がいたら是非教えていただきたいです。

徒然BI[3] - 貧困を終わらせるためのBIの条件とは?

承前

いろいろコメントが付いているのでなんと返そうかなと少し考えあぐねたのだが、少し長文になるがブログで応答することとする。

ここで言っているのはヴァン・パリースにおける定式化されたBIのことであり、もう少し言えばBIの制約条件のことだ。この部分を書かないといけないだろうと思う。ごく簡単に言うと、パレート最適から別のパレート最適への状態遷移のとき、誰かが割を食わなければならないのは明らかなのだから、基本的な方策を予め定めておかないかという話でもある。

また、この定式化されたBIは、選別的な個別の社会保障も普遍的な社会保障としてのBIもマキシミン化を目指そうというものなので、仮にこの枠組みに合意が得られれば、いずれを要求する者にとっても決して悪くない話だと考えている。まぁ、より簡単に言うなら、BIのために既存の社会保障を止める必要はないし、むしろ重要になるということなのだが…。

というか、たぶんいいねをつけている人も、私が考えていることとは全く無関連に、別の解釈でいいねをつけていた人も多いのかなと思う。

ヴァン・パリースによって定式化されたBI

ヴァン・パリースはその著書で、ロールズらを援用しながら公正な社会の条件を次のように提示した。

  • A.) 強制や暴力などによる侵害なしに諸権利がうまく執行されるような構造が存在すること(権利に関する安全保障の確立)
  • B.) 第二に、その構造の下で、個人の自己所有権が確立・確保されていること
  • C.) 以上の 2 条件の制約の下で、各個人は己が為したいと欲するであろうどんな事であれ、それを為すための最大限可能な機会が保証されていること

のっけから何を言っているのかわからないという方は、これについては以前に記事にしたので*1そちらを参考にされたい。ここではこれを前提として続ける。

さらにヴァン・パリースの著書の訳者である齊藤拓による解釈に助けを得ると、次のような定式となる。

  • 目的関数:Max. 一人あたりのBI(現金部分)
    • 制約条件Ⅰ:形式的諸自由の保護
    • 制約条件Ⅱ :機会平等およびベーシック・ニーズ充足
    • (制約条件Ⅲ:税制の予期可能性)*2

ここでポイントを述べると、ヴァン・パリースによって構想されたBIは、最低限の生活費をカバーする基礎所得であり、その上で様々な上乗せを行うという制度構想ではない。そうではなく、公共財や現物サービスの支給に加え、特別なニーズを持つ人々への限定した給付を行ったうえでの残りを、BIとして給付するべきだという点にある。

パレート最適下の政府支出が実現している時、どう追加支出するべきか

以前の記事ではまた別の説明を行ったが、ここでは違う問いかけをしてみよう。

政府支出がパレート最適である、あるいは、これ以上の支出は制御不能なインフレになる可能性が限りなく高いと推測されているインフレ制約ギリギリの政府支出が実現できており、かつ、一定水準のBIが実現している社会を想定する。この社会においいてこれまで露になっていなかった重い後遺症が残る医療薬害問題が発生したとする。数十万人単位の市民に対して長期的に医療サービスならびに金銭的補償を行わなければならなくなったとき、政府は何を削って予算をつけるべきか。市民の必要に応じた政府支出なのだから、インフレ制約など気にせず追加支出するべきだという意見も当然あるだろうが、ここではパレート最適下を想定しており、新たな支出によって誰かが割を食うことになることを想定している。具体的に言えば、想定した状況下で一切の支出削減なしでの政府の追加支出が発生させるインフレは、高齢者世帯やシングルマザー世帯などの低所得世帯に一番割を食わせるのである。

結論から述べると、ヴァン・パリースによって定式化されたBIないし公正な社会では、至極簡単で、BI支給分を削って追加支出すればよいということになる*3。私もこの意見に首肯するのだが、仮に反対される方がいれば、どのように政府は追加支出すべきなのだろうか、と聞いてみたい。

貧困を終わらせるためのBI

佐藤一光は、生活保護の欠陥を克服するためにBIを採用することを想定し、次のように言及している。

(中略)あらゆる貧困を完全に無くすためには、お金を配って終わりということにはならず、行政による適切な支援が欠かせない。そうであれば、貧困を終わらせるためのBI設計は、現金を給付するだけでなく、資力調査を行わなくなって良くなった分、支援が必要な家庭への伴走支援を強化することとセットでなければならないということになる。

例えば、2020年に一律に給付されたコロナ給付金は、約40万人の人たちが申請を行わなかった。その中にはもちろん、十分に豊かに生活できているため自発的に申請を行わなかった人たちもいるだろう。しかし、住所が不定だったり、申請の手続きをすることができないような、より困窮状態にある人たちが相当数含まれていると考えられる。このような人たちにこそ行政は寄り添い、支援の手を差し伸べる必要があるのであって、一律給付の行政費用削減効果を強調することは困窮者の切り捨てにつながりかねないのである。*4

また、再三引いているが、志賀信夫による、不正義の是正の観点からの言及。

だが、普遍主義的システムであってもBIであっても、個人的差異性に基づく差別とその差別に由来する社会的不利性の除去を根絶できるわけではない。これらは差別の積極的な排除には必ずしも対応していないのである。特定の属性をもつ個人、特定の集団、特定の地域に対する差別と社会的不利性から貧困が生起することも多いという事実に向き合うならば、選別主義的制度から普遍主義的システムへ(あるいはBIへ)という単純な枠組みだけでは貧困問題を緩和・解消できるとは限らない。

普遍主義的システムやBIが実現しても、女性や障害者、性的マイノリティ等への差別、民族差別、地域差別等は解消されない可能性が高い。つまり、いくつかの重大な不正義は是正されえないということである。また、例えば、育ちのなかで家計支持能力の形成が阻害されてきた人物が、経済的困窮状況に陥ってしまった場合の自己責任論と差別はさらに強化されてしまうかもしれない。〈社会としてやるだけのことはやったのだから、あとは自己責任である〉というエクスキューズを与えてしまうかもしれないからである。*5

BIは専ら所得に関しての貧困の緩和には寄与する可能性があるが、貧困の原因を直接的に取り除くものではない。往々にして貧困の原因となっている不正義は、出自や性別などの個人の属性にまつわるため、これを取り除くためには選別的な社会保障制度は重要だということになる。

さらに付け加えるのであれば、ある人らに同一の所得が与えられているとして、彼らは同一の豊かさ(ないし貧しさ)を享受しているのであろうか。センは貧困問題の物差しとして専ら所得が用いられていることの限界を指摘し、潜在能力の欠如という観点で貧困を見ることを提唱したのだった。

時に年齢、身体障害、病気など所得を得る能力を低下させるハンディキャップが、所得を潜在能力に変換させることもあわせて困難にすることがある。先進諸国で高い割合を占める貧困者は、そのようなハンディキャップを抱えていることが多い。この場合、所得を稼ぐ段階でのハンディキャップが、潜在能力を創出するために所得を利用する際のハンディキャップと結びついていることが見落とされているために、貧困問題は過小評価されている。例えば、老人は病気にかからないでいたり、健康を維持したり、自由に移動したり、コミュニティーでの暮らしに参加したり、友人と会ったり、といったもろもろのことで困難が多い。所得を利用する上でのこれらの障害は、従来の所得に基づく貧困分析が唯一の焦点として捉えていた所得稼得能力の低さという特徴に覆いかぶさってくる。*6 *7

この点もヴァン・パリースの提示した制約条件はよくできている。機会平等とベーシック・ニーズ充足という制約条件によって、BIの最大化を目指しながらも、より不遇にあると考えられる人々へのサービス充足によって、不正義の是正を合わせて目標化できるからだ。

そもそも我々が口にする”貧困”とは

ところで、BI支持者がしばしば口にする、行政による既存の選別的社会保障制度の蚊帳の外に置かれた人々、というのは、一体誰のことを指しているのだろうか、と私は常々疑問に思っている。無論、既存の行政による社会保障に多分の問題があるわけだが、それはあくまで選別的社会保障制度の枠組みの中での話である。またこれは、不遇を被っているマイノリティらがBIを元手にすることで、間接的に不正義の是正に役立てることができる、という話とも違う*8

この上で、例えば前述したように、「貧困を終わらせるため」と述べたときの”貧困”とは、いったい何のことを指しているのだろうか。

よりこれを具体化し、我々の行動に移すには、これもまたセンが助けになるだろう。

貧困の定義をめぐる問題は、記述的な形と政策的な形の両方をとることができる。前者の場合、貧困の定義とは、困窮状態を識別することである。これは政策提言に結びつくこともあるが、それは派生的な特徴でしかない。記述的な作業は当該社会の基準に照らして真に困窮している人は誰かを判断することを目的としている。一方、後者の見方をとる場合、貧困の認定はそのまま政策提言、すなわち社会は貧困に対処するために何らかの措置をとるべきであるという主張につながる。後者の見方では、貧困の定義は主に公共政策の対象を特定することであり、記述的な意味は派生的なものに過ぎない。これとは逆に、前者の見方では記述が主であり政策的提言は派生的なものに過ぎない。

(中略)政策提言が、その実現可能性に条件づけられることは言うまでもないが、貧困の識別は、もっと広い視野で捉えられるべきものである。まず、最初にとるべきステップは、困窮状態を診断すること。そして、それに関連して、もし手段があるならば、何をすべきなのかを決めることであろう。次のステップは、われわれの手の届く手段に沿う形で実際に政策の選択をすることである。この議論に従えば、貧困の記述的な分析は、政策選択に先行して行われる必要がある。*9

センに寄せて言えば、とにかく基礎所得としてのBIが必要だ、としてどのような社会保障制度にもBIが先立つと述べる人は、次のような貧困の定義を取っているということになるかもしれない。

すなわち、貧困を定義するや否やその枠組みから外れてしまう人が出てしまうため、記述的なアプローチは拒否する。専ら政策的アプローチを取ることとなるが、貧困を認定する必要などなく、すべての社会成員に無条件で一定金額の基礎所得を与えることとする政策が提言されることとなる。

なんとか貧困を記述するとすれば、貧困とは、先に述べた通り、単なる所得の問題に単純化されているのではないか。場合によっては、貧困の根絶などと述べながら、貧困の定義が拒否されているため、最初から貧困など存在しないのである。

サバルタンの声を聞く――

あるいは、スピヴァクサバルタンは語ることができるか*10という問いを発した。サバルタンは非従属社会集団を意味し、日本ならおじろくおばさといったところだろうか。サバルタンが自らを語ることは原理的に困難で、支配者や知識人による「代弁」は、彼らによる一方的な消費に利用されるばかりで、むしろ生の声を奪うことになりかねない。

他方で、サバルタンの声を聞くことをセンに寄せて記述するなら、それがもしかしたら暴力的なものとなることを恐れず、貧困を記述し、診断し、改善する手立てがあるならそれを講じることである。それはとにもかくにも、サバルタンに語りかけてみることから始まる。

例えば、2020年の一律給付金に則して言うなら、申請を行わなかった約40万人が特定できているわけで、その40万人に個別具体的にアプローチする必要があって、その上でどのような問題があるのかを特定して手立てを講じるべきということになる。

BI支持者が、行政による既存の選別的社会保障制度の蚊帳の外に置かれた人々、と述べてみたところで、結局それはBI実現のためのアジテーションとしてサバルタンをでっち上げて利用しているに過ぎないのではないかと、私は深く疑うし、私自身も軽々しく使わないようにしなければ、と強く戒めている次第だ。

*1:BI(ベーシックインカム)の政治哲学的根拠、およびJGPの可能性 - rory / 仏教ロック!のプラモデル日記

*2:立岩真也、斎藤拓 著『ベーシックインカム 分配する最小国家の可能性』(2010, pp.244)

*3:ただし、BI支給をどのように減らすのかという点は議論の余地があろう

*4:佐藤一光『ベーシックインカムは幻想か』(生活協同組合研究 2021.8 Vol.547, pp.7)

*5:佐々木隆治、志賀信夫編著『ベーシックインカムを問いなおす:その現実と可能性』(2019, pp.171)

*6:アマルティア・セン 著、池本幸生、野上裕生、佐藤仁 訳『不平等の再検討 潜在能力と自由』(1992-1999,2018, pp.198-199)

*7:あるいは入門書から引いてより直截に。|たとえ所得の平等を図ったとしても、所得を使って実現される行いや在りようの集合(すなわち「潜在能力」)が平等になる保障はない。貧困に適応的な選好をもつ貧者と、財貨に飽きた富者が等しい厚生をもつとしても、基本的な潜在能力上の格差は否定できない。後藤玲子 著『センの平等論――社会的選択理論の核心』(新村聡、田上孝一 編著『平等の哲学入門』第10章、2021、pp.186)

*8:トニー・フィッツパトリック 著、武川正吾、菊地英明 訳『自由と保障―ベーシック・インカム論争』(1999-2005)を参照のこと

*9:アマルティア・セン 著、池本幸生、野上裕生、佐藤仁 訳『不平等の再検討 潜在能力と自由』(1992-1999,2018, pp.190-191)

*10:G. C. スピヴァク 著、上村忠男 訳『サバルタンは語ることができるか

徒然MMT[1] - Yahoo!知恵袋のrickyさんのコメントをノート化してみる(試)

承前

mmtについて質問です。 - mmtではインフレになるまで国債... - Yahoo!知恵袋

またrickyさんの素晴らしい!と思われるMMT解説がYahoo!知恵袋に投稿されている。 しかし、大枠は理解できたつもりでいるのだが、細かいところが理解できない。rickyさんは敢えて長文で記載しているものと思われるが、ここは自分がどこが理解できてどこが理解できていないのかを確認するためにノート化(=箇条書きにして再整理)してみたい。脚注は私が付記した部分になる。

ノート

国債に関するMMTの主張の基本

  • 誤解されたMMT
    • インフレになるまで国債を発行する
  • MMTの主張
    • 国債とインフレには関係がない
      • 戦後のアメリカや日本のシステムを前提とすれば、国債にインフレを回避するような効果は全くない
      • 経済的な実態を言えば、政府の支出は常に(財政赤字黒字に関わりなく)ベースマネーの新規発行によって行われているのであり、国債は、そうして政府が発行したことによって過剰になった準備預金をインターバンク市場*1から排除するという機能しか持っていない
        • 従来的主張:中央銀行が政府に直接融資を行うと、インフレが激しくなりすぎるから、中央銀行による直接融資は禁止して、国債市中銀行に買い取らせることで、インフレを回避する、という言うことがまことしやかに言われていた*2
          • MMTの発足当時からの中心人物の一人であるS. フルワイラーという人が以前は繰り返しツイッターで書いていたんだけれど(それだけアメリカなどでも誤解が多かった)、最近は何べんおんなじことを言っても全然理解されないので、もう嫌になっちゃった模様*3

MMTにおける(真正)インフレの回避策

  • 真正インフレの発生過程
    • 政府が支出しすぎて、総需要が国内の供給力を上回ってしまえば、ケインズの言う真正インフレになる。この場合にはインフレは歯止めが利かなくなる
  • MMTにおけるインフレ回避策とは?

    • インフラ整備|環境保全|人的資本強化(そのための教育制度の確保)
      • 政府の裁量的支出(公共投資など、政府の意思決定によって操作できる支出)を安定させる
    • 政府部門や家計部門の支出を安定させることで民間部門の投資全体を安定させることを通じて、景気変動を均して企業部門が抱えている不確実性を減らすこと
      • 自動安定化装置(とりわけJGP)によって、家計の所得を安定させることで家計部門の支出も安定させる。
    • 政府部門と家計部門の支出が安定することで企業部門も比較的不確実性が少なくなり、投資が安定する。こうしたことを通じて景気変動を減らし、インフレをなくしてゆくことを目指す

MMTにおける国債に対しての提言

  • 国債に対するMMTの主張:国債の廃止
    • 国債にはインターバンク市場の金利下支えの機能しかない。それなら最初からそれにふさわしいやり方を採用するべき
      • その一つが、現在実際に各国で採用されている(超過)準備に対する付利制度*4
      • より望ましいのが、最初から中央銀行インターバンク市場金利を上下することをやめること。つまり「恒常的ゼロ金利政策」といって、金利政策自体をやめること*5
        • ――何故か
          • MMTでは金利政策の有効性には大きな疑いを持っている――これは効かない、というより、どのような効果があるのかわからない、という意味

MMTにおける金利政策に対する見方

  • 教科書的主張:製造業が金利低下によって設備投資を増やし、金利上昇によって設備投資を減らす
    • 実際にほぼ全く期待できないことが実証研究で(もう1970年代ぐらいには)はっきりしていた*6
  • 現代の製造業では原価計算に基づく目標マークアップを実現できるように価格設定がなされる
    • この場合、金利の上昇は企業にとって費用の増加を意味する。独占度などにも拠るが、これはかえって物価を引き上げる効果を持つ
      • ただし投機的性格の強い建築デベロッパー部門などでは、確かに工事着工件数を増やすなどの効果があり得る
  • 現在のように年金など金利所得層が増えた状態では、金利引き上げの効果はむしろ年金受給層などの支出を増やす傾向にある
  • そもそもMMTの枠組みからすれば、政府による金利支払いは民間の純所得を増やすはずであり、これは民間支出の増加につながるはず
    • ところがその一方で金利引き上げによって金融資産価格が上昇すれば、それは資産階級の支出を大いに刺激する
      • さらにこうした動きがコモディティーにまで波及すれば、今度はこれが原油や金属などの素材関連のコスト引き上げにつながり、インフレを刺激する面も持つ
  • こうしたことを勘案したとき、MMTにとって金利政策というものが景気にどのような効果をもたらすのか不可知となる
    • 何より、こうした金利操作それ自体が金融市場の不確実性を高め、投機活動の機会を提供し活発化させ、金融不安定化をもたらす
    • 中央銀行はこうした金融投機活動を抑制し、銀行による不適切な融資活動を監視し、金融市場を安定させることに注力するべきで、金融政策など放棄するべき

MMTによるインフレ抑制のための一提案

  • 戦時公債型国債*7
    • 現在の国債とは異なり、民間銀行の預金により売買され、特別な事情がない限り、一定期間、売却や譲渡ができず、担保にも使えないという国債
    • これも政府の財源になるわけではなく、単に民間の預金通貨の流動性を引き下げるだけの機能しかない

そもそもMMTとは?

  • MMTというのは、幅広い射程を持った「ものの見方」に関する議論であって、単に目先の経済政策をどうする、という話とはまたちょっと違う
  • 例えば、"Taxes Drive Money"(税が貨幣を駆動する)について
    • 債務の額面価値はそれが償還されるときにどのようなことを約束しているかによって定義されている
      • 民間の多くの債務は銀行預金通貨により償還され、そして銀行預金通貨はベースマネーにより償還され、そのベースマネーは租税によって償還される。だから租税こそ貨幣(債権債務の額面価値を表示する数字)を定義しているんだ、ということ*8
    • 租税制度によってさまざまな経済主体が発行する債務の間に一種の階層秩序が構成され、それが安定していることによって経済的にも安定した取引が可能になる
      • このヒエラルキー構造を安定させることこそ中央銀行の重要な役割なのだが、それを(自由化政策などにより)放棄した結果登場したのが、バブルの発生と崩壊とが頻繁に繰り返される「マネー・マネージャー資本制経済」なのだ、というのがMMTの主張の一部
      • 貨幣価値を市場での取引によって安定させようとしても、もともと貨幣というのは様々な経済主体が負債を発行することでいくらでも生み出されてしまうものなので、これを野放図に自由化したところで、物価や通貨の安定には結び付かない。どのようにして生産(取引ではなく)と貨幣とを結び付けるか、これがMMTの大きな主張の一つであるJGP(就業保障プログラム)に繋がっていく

日本におけるMMTに対する誤解(ここは別にどうでもいい)

  • MMT国債破綻しない説、となってしまった
    • 日本では残念なことに、19年の春にアメリカで最若年の国会議員がMMTに言及し*9アメリカの場合政府赤字によって財政破綻することはない、ということが強調され、それがきっかけとなって広まったという経緯があった
  • そこからさきは妄想ばかりが膨らんで日本オリジナルのMMTが色々あるが、ややめちゃくちゃ
    • 「日本はMMT政策を採用している」といったわけわからない話
      • MMTが「日本ではいくら中央銀行国債を民間から買い取り、その代わりに利付きの準備預金を提供しても、まったくインフレにはつながっていない。これは主流派経済学の誤りを指摘してきたMMTの主張の正しさを証明するものだ」といった発言がこのように捉えられた。…。
    • 租税貨幣論:租税の役割はインフレを抑制するため
      • これは確かにMMT派のケルトン女史などが強調していることではある
        • ところがそれと同時に、ケルトンは実際にインフレが発生しそうなとき、増税によってこれを回避しようというのは適切でも効果的でもない、とも言っている(後述を参照のこと)

国債制度を廃止した場合のベースマネー発行方法

  • MMT派がよく言っているのは、政府預金口座に当座借越ファシリティーを設定すること
    • 当座借越*10MMTが言っているのはあくまでもオーバードラフト、つまり口座残高がマイナスになる、ということ
      • 日本商工会議所の簿記検定ではこちらの意味で使われている一方、日本で銀行と付き合っているとコミットメントラインのようなものを指すことが多いので注意。
        • 日本だと、個人の総合口座で定期預金を担保としてマイナス残高が許容されるタイプの預金がイメージしやすいか(ただし担保や借越枠はない模様)。
    • 政府は中央銀行に政府預金口座を持っており、そこで資金管理している。
      • 現在は、政府は支出に先立って必ず支出額以上の預金残高を確保していなければならない。だからもし資金が足りない場合には財務省が短期証券を発行して、政府預金口座に資金を入れてから支出することになる。そしてもし年間の収入総額が支出総額を上回るようだったら、短期証券ではなく国債に切り替えなければならない
      • しかし政府預金口座がマイナスになってよいのであれば、支出に先立ち支出額以上の残高を確保しておく必要などないし、マイナスを繰り越して構わないとすれば(そして借越枠を設けないので良ければ)、国債も必要ない
      • まあ借越枠は単年度の予算では必要になるかもしれないが、長期的に見れば、今のアメリカの債務上限法*11と一緒で、上へ上へと延びてゆくことになるだろう。政府に収入があったときには、この借越額のマイナス額が収入によって減少することになる

MMTにおけるベースマネーおよび租税に対する考え方

MMTにおけるベースマネーに対する考え

  • MMTでは、先にベースマネーの発行額が決まるのではなく、政府の支出額が決まると、それに従いベースマネーが発行される、としている
    • 政府は基本的には民間の必要性によって財政支出額を決めるべき
      • 民間の必要性:基本的な公共施設、インフラ整備や教育・医療・環境保全、などといったもの
        • ただしこうしたものを整備しようにも、一気にやろうとすれば国内で利用可能な経済的資源のキャパオーバーに繋がってしまう。キャパオーバーになれば、それ以上はいくらベースマネーを発行して実行しようとしたところで民間の資源需要との競合となり、インフレになるばかり
          • これは「真正インフレ」と呼ばれる状況で、MMTにとっては絶対避けるべき状態。
        • この意味で、MMTでは「インフレが政府支出の上限」とよく言う
          • よくある誤解:MMTは何もインフレになるまで支出をするべきだ、とか、政府は事前にどれだけ支出すればどれほどインフレになるかを把握できる
            • ――そんなことは不可能。なぜなら、総需要を構成する支出は政府だけでなく、民間投資が大きな部分を占めているけれど、これは不安定で政府があらかじめ知ることなどできない
            • それより政府が民間に合わせてちょうどインフレにならない(あるいはインフレ率2%でも一緒ですが)水準に総需要をコントロールしようとしても、そこには情報や決定、実行、支出についてのタイムラグが存在しており常にタイミングを外すことにならざるを得ず、それどころか、こうした政府支出に対する民間の予想を不安定にさせ、それ自体が民間投資をかく乱し経済を不安定化させる原因になってしまう
        • だからあくまでも、インフラや教育、医療、環境保全など、民間の実物的必要性に応じて長期的・計画的に「目標を定めた」支出 measured and targeted spending をするべきであって、ベースマネーをいくら出すべきか、とかインフレをどうするか、といったものを基準にすべきではない
          • ただし、現在のアメリカやカナダ、オーストラリアあたりの生産力を前提とすると、政府支出の規模は現状よりかなり大きくなければ民間投資を安定させる効果は薄い、とも言っている。民間投資の景気変動を均して考えて、ある程度民間投資に近い額程度の政府支出は必要になる、としている

もう一つの考え:JGP(就業保障プログラム)

  • MMTの考えでは、貨幣経済と実態経済とは交換によって結びつく面より生産によって結びつく面の影響の方が大きい
    • 加えて、マネーの大部分を占める信用貨幣(銀行預金通貨ばかりでなく、ノンバンクの発行する様々な支払い手段、企業の振り出す約束手形なども信用貨幣に含めます)の量を政府がコントロールしてインフレを調整するなど、まったくばかげた発想、としている
  • むしろ価格は、所定の貨幣賃率と海外からの輸入資源価格や現状の生産設備を前提として所定のマークアップ目標の下、原価計算を通じて決まる
    • 生産量は予想貨幣所得を前提としてマークアップが実現できる価格で販売できると予想される数量で決まる
    • 企業が必要とする運転資金は企業が負債を発行することで(主として銀行の信用創造を通じて)決まる
    • 銀行は信用創造によって生み出した銀行預金通貨の決済のためベースマネー(準備預金)を必要とするけれど、これは中央銀行によってアコモデートされる
  • ここで決定的な役割を果たすのは貨幣賃率
    • 個別企業水準で言えば、様々な生産要素がかかわっているが、マクロ経済全体で考えると、貨幣賃率が生産コストの最も重要な部分を占めている
    • だからこの賃率を安定させることが生産コストを安定させる(製品価格の決定)うえでも、生産量を決定する(企業は所与の貨幣所得を前提に売り上げ見込みを立てる)うえでも最も重要な役割を果たす
  • どうしたら貨幣賃率を安定させることができるのか
    • ――ここでMMTは、金融市場で中央銀行がやっていることと同じことを政府が労働市場でやるべきだ、という
      • つまり目標賃率水準を決め、その賃率より賃金が下がったら(つまり市場で労働力が過剰になり、民間で雇用されない人が出てきたり、時短で十分な所得を得られない人が出てきたときには)政府が目標賃率水準・労働条件水準で職を必要とする労務者をいくらでも雇用し、逆に目標賃率より民間の賃率が上昇したら(つまり市場で労働力不足が発生したら)、そうやって労働力が過剰な時期に政府が雇用していた労務者たちが自由に民間へ移れるようにする
      • そうすることで原価を構成する賃率を安定させると同時に、家計の支出を安定させることで、企業の不確実性を取り除く。そしてそうすることで企業の投資活動も安定させる
  • 政府は、上記の通り、公共投資など自分の意思決定で金額を決定できる「裁量的支出」についてはある程度大きな規模で安定させ、景気循環などによって変動する「非裁量的支出」としてJGPを採用することで、景気循環と反対に財政を増減させる
    • この「非裁量的支出」(JGP)では、政府の支出額は、JGP雇用に参加しようとする労務者の数によって決まってしまい、政府が決めることはできない。いわば民間(家計)の資金(職)需要に政府が「アコモデート」する。こうして民間が必要とする資金を政府が提供する
      • 注意:政府はこうした支出を通じて、単に民間に資金を提供しているのではなく、民間の所得(利潤)を形成し、民間部門の「純資産」を増加させている…(別の機会に)

MMTにおける租税に対する考え方

  • 租税は、単に民間の資金を奪う、ということより、民間所得および民間純資産を減らす効果がある

    • これは国内資源が一定の時、民間の支出を減らし、それだけ政府の財政活動の余地を広げることに貢献する。上記の通り、総需要が過剰になり国内供給力を超えてしまえば真正インフレが発生する

    • これが政府支出の上限を成すわけだから、税金が大きければ、それだけ政府は財政支出を増やすことができる、とは言える

  • が、実際にインフレが発生したとき、増税によってインフレを回避できるか、あるいはできるとしてそうすることが得策なのか、というと、MMT派は慎重

    • というのは、例えば景気が過熱してインフレになったとき、一番苦しむのは誰かというと、景気過熱にもかかわらず最後まで職に就くことができない層、具体的にはきちんとした教育を受ける機会を得られなかったマイノリティのシングルマザー。増税などによって景気を冷ます政策が一番ダメージを与えあるのはこうした層だ、というのがMMT派の見立て

    • 増税は、確かに景気を冷ます効果があるかもしれないが、他方で企業がマークアップを設定する際目標とするのはあくまでも税引後利潤であるから、法人税が引き上げられればかえって価格がさらに上昇する可能性もある

    • 所得税が引き上げられれば、労組の賃上げ圧力がさらに強くなり、これもインフレにさらに拍車をかけかねない

    • 金利の上昇も同じような効果を持つ。しかし上記のようなマイノリティー層はこうした回避策をとることができず、悪影響しか受けない

    • そもそも増税によって民間支出を減らそう、という試みを成功させるには、所得に対する消費支出の比率が高い中低所得層への課税を、上位層に比べて相対的に大きくすることが必要になるこれでは政府が政策を遂行する上で最も協力を必要とする中所得層の協力をなかなか得られなくなってしまう。これでは逆効果になってしまう可能性もある

  • MMT派では、どちらかというと増税という手段は、所得・資産格差を解消するため、あるいは社会的に望ましくない消費活動や投資・投機活動を抑制するために用いられるべきで、インフレ回避といったマクロ経済政策上、あまり好ましい手段ではない、と考える傾向がある

    • 税率や税額の決定も、こうした社会政策上の観点から決められるべきで、政府の財源の必要性によって決めるべきではない、とされる
    • これがMMT派の言う「機能的財政」という考え方
      • これはもともとはA. ラーナーという昔の経済学者の用いた言葉*12で、財政の良しあしは、黒字か赤字か、債務がどれだけあるか、ではなく、その支出が経済全体に対して与える影響で判断されるべきだ、ということ
      • もっともラーナーと異なりMMTの場合は、景気に対する効果というよりは、もっと社会的で具体的な話を強調する傾向がある
        • 実際、レイによるなら、最初にフォーステーターが機能的財政の考え方をMMTに持ち込もうとしたときには結構抵抗もあった模様。レイ自身、ラーナーとミンスキーを比較したW.P.では、ラーナ―のことをあまりいい書き方をしていない*13
          • ラーナーの機能的財政の考え方は、ファインチューニングによる景気安定化政策の考え方を経て、結局マネタリズムと同じ結論に行き着いてしまった。それじゃダメなんだ、という意見
        • ラーナ―をMMTに持ち込んだフォーステーター自身も、ラーナ―とレーヴェ(レーヴェというのは、アドルノやホルクハイマーといった哲学者を推すフランクフルト学派系の経済学者として知られています)を比較したW.P.では、なんだかレーヴェの方を評価しているみたいな書き方になっている*14

    まとめ

  • MMTは、機能的財政の考え方に従い、財政支出の規模や税率・税額についてはその社会経済的な必要に応じて行うべきであって、政府の財政が黒字かどうか、債務がいくらあるかにはこだわる必要はない、という立場

    • ただしそれは、政府がファインチューニングや呼び水政策といったやり方で景気を維持しよう、ということではなく、社会的に必要だけれど営利企業によっては提供されない社会的サービスや施設を提供する、ということ
    • 景気についてはJGPで働く意思と能力のある人はすべて雇用し(「真の完全雇用」といっていますが、失業者をゼロにする、という意味では必ずしもない。あくまでも、働きたいと思ったすべての人に適切な労働条件で雇用される機会を提供する、という意味)、政府支出と家計支出とを安定させることで企業の投資の不安定化を減らすことで、景気を安定化させる、ということとなる

ついでに、裁量的支出についての補足と、MMTの"暗さ"について

MMTやPKによれば、政府の裁量的な支出は後手に回りやすいし... - Yahoo!知恵袋

裁量的支出の補足

  • MMTは政府の裁量的な支出に否定的なのではない
    • そうではなくて「裁量的支出政策」――つまり、裁量的支出を、文字通り裁量的に上下させることに、否定的
    • 「裁量的支出」と「非裁量的支出」の区別というのは、政府が支出額を任意に決定できるかどうかの違い
      • 政府が任意に額を決定できるなら、「裁量的支出」MMTでは、裁量的支出自体は否定するどころか、アメリカについては大幅に増やすべきだ、としている
      • 彼らが否定しているのは、その額を、景気変動に対応していたずらに増やしたり減らしたりする政策。裁量的支出政策に反対する、というのは裁量的支出そのものをなくせ、と言っているのではない。しつこく言っとかないと勘違いする人が絶えない…

政府による裁量的支出政策の外観

  • 政府の裁量的な支出政策(および連銀による「最後の貸し手」政策)と悪性のインフレの間の結びつきが顕著になったのは50年代後半から60年代
  • 70年代にはいると今度はスダグフレーションになり、インフレと失業率の(上辺の)関係が断たれるようになる(「垂直のフィリップスカーブ」)。政府の支出(とりわけ軍事支出)が増えても、雇用も実質賃金も伸びない(それどころか悪化する)という現象はこのころには明確になる
  • 60年代にはすでに景気回復から取り残された黒人層の問題など発生、それに対して「トリクルダウン」という言葉が使われるようになる(まず白人の中産階層が豊かになれば、その支出を通じて黒人低所得層も豊かになるので、まずは白人中産階層の所得を引き上げることが必要、という考え方)
  • 70年代になると、所得が改善した層においてすら、貧窮感がかえって強まる、という「相対的剝奪」現象がみられるようになる。もうすでにこのころには名目的なGNPの伸び(「実質」GNPですら、生活の質、という面から言えば、名目的なものに過ぎない)がかならずしも一般国民の経済生活を豊かにするとは言えないことがはっきりしてくる
  • それで70年代末から80年代初頭にかけて、徹底的な「改革」が行われるようになる。家父長的な管理体制で、皆を幸せにしようとするからみんなが不幸になるんだ、努力をするものが応分の利益を手にできるように世の中を改革するべきだ、という、いわゆる「中産階層の反乱」が起こった

MMTの”暗さ”について

  • そういう構造に陥った原因というのは、そりゃ、資本制経済だから
    • というかもっと広く言えば、人間の経済だから
    • ミンスキーに言わせれば、不況の原因は好況。経済不安定化の原因は経済安定
    • 極端な経済危機があれば、人間はそれを防ぎ、繰り返さないようにするために制度改革を行う。行動は慎重になり、意思決定は保守的になる。しかしそれで安定し、危機の記憶が薄れれば、危機を予防するための様々な規制や制約を逃れるためのイノベーションが行われ、規制や監督それ自体を取り除こうとする動きが強くなる。予防し回避するための保護策によってモラルハザードが繰り返されれば、予防策・保護策そのものが批判の対象になる。過剰にリスクがとられ、強気の意思決定がとられるようになる。
  • だからレイやティモワーニュは言う
    • ――MMTに基づいた政策によって経済がうまくいくとしても、そんなものがうまく続くのはせいぜい10年そこいらで、その後何十年かかけて長い崩壊過程を経験することだろう
    • ――それでもいいのだ。MMTの貢献は、この長い崩壊過程をよりましなものにすることだ
    • MMC(マネー・マネージャー資本制経済、つまりサブプライムローン危機によって「終わりの始まり」を迎えた「自由主義」的傾向の強い資本制体制)の崩壊過程は、以前の「金融資本制」の崩壊過程より、その規模ははるかに大きかったのにかかわらず、社会的悪影響をはるかに小さいものにとどめることに成功している
    • MMTに基づく経済体制の崩壊過程も、「管理資本制」の崩壊過程よりずっといいものにできるはずだ
    • ごくわずかな期間のユーフォーリアのためにではなく、好不況を超えて、長期的により安定し、個人が自分と地域社会の発展を追求できる社会的を目指すべきだ
  • 資本制経済という枠組みの中で、経済を安定させるということは、基本的には不可能だ(ただし多少マシになら出来る)、というのがMMTの認識

*1:1. 短期金融市場とは|「短期金融市場と円の国際化」関連資料|経団連|98/06/16

*2:日本銀行が国債の引受けを行わないのはなぜですか? : 日本銀行 Bank of Japan

*3:ちょっと見つけられなかったのだけど、ゆる~く関連するものとして、にゅんさんによるフルワイラー他の翻訳記事:「MMTがいわゆるインフレ目標政策や中央銀行の独立を支持しない理由」by スコット・フルワイラー他  – 道草

*4:準備預金制度とは何ですか? 超過準備とは何ですか? : 日本銀行 Bank of Japan

*5:ゼロ金利政策とは 景気・物価の押し上げ狙う: 日本経済新聞

*6:これって誰がどこで言っているんだろう…相手は日銀んとこの説明にある通り、国債市中銀行通して提供しないと、戦時のときのようなハイパーインフレが起こるんだぞとか言ってくる。ここがキモだと思っている

*7:War Bond Stamp Book from World War II | Museum of American Finance

*8:※ここらへんは次を見たほうが早い|MMTの「Taxdrivesmoney(租税が貨幣を駆動する... - Yahoo!知恵袋これじゃわからん!「税が貨幣を動かす」その1 | 不自由な思考をめぐってこれじゃわからん!「税が貨幣を動かす」その2 | 不自由な思考をめぐってこれじゃわからん!「税が貨幣を動かす」その3 | 不自由な思考をめぐって

*9:米国で話題の財政赤字容認論MMT、その根拠は「日本が成功例」!? | 金融市場異論百出 | ダイヤモンド・オンライン

*10:当座借越|税理士|資格の学校TAC

*11:米債務上限問題について考える | 三井住友DSアセットマネジメント

*12:機能的財政とは - コトバンク

*13:ラーナーとミンスキーを比較する Part 1 - 断章、特に経済的なテーマ

*14:未読だが、たぶんここらへん|Toward a New Instrumental Macroeconomics: Abba Lerner and Adolph Lowe on Economic Method, Theory, History, and Policy by Mathew Forstater :: SSRN

歴代のガルプラゲーテちゃん(第1次~第4次)

承前

プラモデル日記と題しておきながらプラモデルのことについて何も書いていなかった。

TwitterMMTに造詣が深いゲーテちゃん(プロフ)には勉強させていただいているのだが、昨年末より思い付きで、FAGやメガミデバイスを金髪にして勝手にゲーテちゃんということにしてゲリラ投稿している。

FAGやメガミデバイスを調べていたら、ドールのように服を着せてみたり、開眼してみたりといった遊びかた/改造方法があるのを知って試してみたり…。写真も少し溜まってきたので、まとめて載せてみようと思う。

2020/12/31 第1次ゲーテちゃんガルプラ化計画|路上ゲリラMMT講演

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第1次ゲーテちゃんガルプラ化計画その1

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第1次ゲーテちゃんガルプラ化計画その2

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第1次ゲーテちゃんガルプラ化計画その3

制作メモ

素材はフレーム・ミュージック・ガール 初音ミク。黄色にしたから鏡音リン・レンになっちゃったかも…というのは気にしない。ゲーテちゃんならジト目だろうということでハイキューパーツのデカールを使用した。

実は本体よりも周辺の1/12サイズミニチュアを揃えるのに想像以上の投資がかかっている…。コインロッカー、テレビ、カンバンバリケードなどはPINKTANKさん(PINKTANK - BOOTH)のプラモデルで、この後も度々お世話になっている。

セガワの1:12スケール フィギュア用アクセサリーにもかなりお世話になっていて、ここでは長机を利用した。

その他、アンプやスピーカーはガチャガチャのONKYOミニチュアを利用、本もイエサブでミニチュアを購入して、インクジェットプリンタシールで金ピカ本にしてみたりなどした。

仕事猫のガチャフィギュアも並べてみたり、いろいろと遊んでみた。

2021/02/14 第2次ゲーテちゃんガルプラ化計画|バレンタインデー(返済期限は3/14)

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第2次ゲーテちゃんガルプラ化計画その1

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第2次ゲーテちゃんガルプラ化計画その2

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第2次ゲーテちゃんガルプラ化計画その3

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第2次ゲーテちゃんガルプラ化計画その4

制作メモ

素材は創彩少女庭園 結城 まどか【桃桜高校・冬服】。購入するつもりは全くなかったのだが、近所のコジマ電気でたまたま売っていたのを1月下旬に見つけてこれはバレンタインデーに利用するしかないと思い、購入した。単に金髪にしただけだが、これはゲーテちゃんです!と言い張る。

アウターとスカートについては同人作家さんのものをBOOTHで購入。ここでドールってちょっと楽しいと思い始めてしまう…。

背景の黒板については100円ショップの素材とプラ板で自作した。

2021/08/30 第3次ゲーテちゃんガルプラ化計画|ゲーテちゃんと行く!1泊2日のMMT中合宿!

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第3次ゲーテちゃんガルプラ化計画その1

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第3次ゲーテちゃんガルプラ化計画その2

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第3次ゲーテちゃんガルプラ化計画その3

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第3次ゲーテちゃんガルプラ化計画その4

制作メモ

ここまでに買い込んだミニチュアや1/12服を活用しただけのお手軽仕様。一応、ゲーテちゃんの後ろにある衝立はcobaanii mokei工房の組み立てキット。

ガルプラは塗装よりドール服着せたほうが楽しくなってしまって、未塗装状態。ほとんど唯一の制作部分がガルプラ開眼。素材となった顔はファンタシースターオンライン2 es ジェネ (ステライノセントVer.)で、開眼してめだまやさん(めだまやMZGK - BOOTH)の6mmドールアイをひっつき虫を使って固定している。

もはやジェネが金髪なので、ジェネなのではないかと思うが、御団子ヘアにしてオリジナル色を出してみて、これもゲーテちゃんと言い張る。

2021/08/31 第3.1次ゲーテちゃんガルプラ化計画|夏の終わり~ゲーセン前で

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第3.1次ゲーテちゃんガルプラ化計画その1

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第3.1次ゲーテちゃんガルプラ化計画その2

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第3.1次ゲーテちゃんガルプラ化計画その3

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第3.1次ゲーテちゃんガルプラ化計画その4

制作メモ

制作という意味では実はこっちのほうがメイン。ゲーテちゃんは開眼ガルプラドールに浴衣を着せただけのお手軽仕様だが、小道具作成にかなり時間がかかっている。

セガワのクレーンゲームカプセルトイマシンはしっかり塗装して組み立て。WAVEのアストロシティ筐体も地味に塗装して仕上げている。スーパーカブフジミ模型から出ていた天気の子Ver.である。これは塗装してないが、カブの外装はそもそもプラスチック製なので、未塗装でもとても雰囲気が出ていてかっこいい。

バーチャファイターに興じているのは甲府めがねちゃん(プロフ)。凄腕VFゲーマーだったなんてしばらくの間全然知らなかったよ。エピソードの詳細はよく知らないが、甲府めがねちゃんといえば!ということで、リトルアーモリー水鉄砲も用意。

2021/11/09 第4次ゲーテちゃんガルプラ化計画|配達パートナーは労働者だろJK!!

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第4次ゲーテちゃんガルプラ化計画その1

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第4次ゲーテちゃんガルプラ化計画その2

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第4次ゲーテちゃんガルプラ化計画その3

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第4次ゲーテちゃんガルプラ化計画その4

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ヴィネット台座

制作メモ

plamaxのロードバイクを購入していたのだが、ヴィネット風に仕上げてみたいなという思いがあり、ちょっとマジになって制作。

本体の身体の素材はメガミデバイス SOLロードランナー。サイクルウェア風の塗装で仕上げてみた。顔はメガミデバイス 朱羅 忍者の忍者顔素材がぴったりだったので、そのまま利用した。髪の毛はファンタシースターオンライン2 es ジェネ (ステライノセントVer.)をお団子ヘアにした前回のものを流用。小物のメガネはレンズ部分にオーロラグリーンの偏光シールを貼ってみたり。

ロードバイクは色の変更と"GOETHE"のロゴシール以外は基本に忠実に作成。

台座はスチレンボードを利用して一から作成。道路、縁石、歩道、側溝の4パーツ構成。道路はAMMO MIGのコンクリート素材を塗ったが、失敗して2回塗り直した。道路はしっかりコテでキレイに仕上げないといけないことを覚えた。縁石はブロックの継ぎ目のモルタル?埋め部分が汚くなってしまったので反省材料。歩道はGreen Stuff Worldのローリングピンで舗石の型押し、型が浅いのでけがいて深く掘りなおした。めんどくさがらないで、1つ1つの石を削り出してやるようにやるとそれっぽく見える。側溝も道路と同様に作成したが、こちらは1発でうまく行った。色みも良い感じ。

すべてのパーツの基本塗装を終えてから台座に貼り付け。Green Stuff Worldやvallejo、Life Colorなどの草や小石のジオラマ素材を配置。やりすぎないように注意して素材を置いた。

おまけ

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寿司プラモ

大トロはエポパで造形してみた。どちらかというと大トロというよりはサシの入り具合から牛肉の握りになってしまったかも。

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plamaxサーバイン

一応、真面目なプラモデル作成もしております。

徒然BI[2] - BIの陥穽、その消極的態度

承前

コウモリおじさんさんに『JGPの理念とは?』と問いかけられてみて返したらさらに返信いただいていて、きちんと返せておらず遅くなったけど書いてみたい。と言っても1/2くらいが昔の記事の切り貼りだし、繰り返し読ませてしまう部分もあるので申し訳なくもあるのだけど…。

何故BIやJGPに言及するのか

これは個人的には素朴に賛同したい気持ちも強いのだが、実際の社会はロールズの訴えた格差原理:「最も不利な立場におかれた人の利益の最大化」を目指すようにはできていないわけで…。それでこれはものすごく怒られるかもしれないのだけど、はっきり言えば、生活保護の水際対策が行われるようなこんな社会でどうしてBIなりJGPが実現できるだろうかと思われてしまう。

ただし、それでも私がBIやJGPに言及するのは、その理念からは学ぶことが多くある、その理念を抱えて長期的目標に設定し、現実の社会制度の漸次的改善を行うことには意義があるだろうと思うからだ。BIを訴えながら生活保護受給の資力調査緩和も同時に訴えることは矛盾しないし、JGPを訴えながら容易な失業保険受給を提案したり教育訓練中の生活所得保障を訴えることも矛盾しない。貧困の解消や分配的正義の長期的な視座を与えてくれるものだからこそ、言及しているつもりだ。だから、今すぐにでもUBIだろうがJGPだろうが実現しなければならないと考えている人にとっては、私のような態度は軟弱で唾棄すべきものに見えるかもしれない。

BIはもっと早くに実現しそうな気もするけれども、日本でJGPなんてやろうとしても、20年30年かかるだろう。

「食い逃げ」の真意と、MMTerへの/自称MMTerの誤解

一応、にゅんさんの肩を持つと、BIを実現するのに国債を大量に発行した際、その国債金利で儲けるのは資本(家)という構図について、にゅんさんは「食い逃げ」と称しているものと思われる。食い逃げしているのは資本(家)であって、それ以外の誰でもない。ただし、一見すると、BIのみで生計を立てている人を咎めるかのような、俗流のフリ―ライダー論にも似たような発言に見えてしまうので、そんな言い方をしても嫌な思いをしてしまう人も多かろうにと、私も思わず眉を顰めてしまうほど、好きにはなれない表現ではある。資本を太らせる行為でもあるよ、とか、他の言い方があろうかと思う。

他方で、「物価が亢進してしまう」と「人が労働から離れる」という点には注意が必要だと思われる。

まず、「物価が亢進してしまう」について。

ここではミッチェルにのみ言及するけれども、ミッチェルは確かに(およそ日本円で言うなら月に20万円とか30万円のような高額の)UBIが達成してしまった場合には、ディマンドプル・インフレによる破壊的な物価上昇スパイラルが起こる可能性について予測している。これに関しては、UBIを目指す人の一部にとってはそれは許されないという人もあろうけれども、負の所得税や給付型税額控除が、現実的な選択肢としては代替策として挙げられようかと考えている。

ただし、ミッチェルはその破壊的な物価上昇スパイラル以前に、新古典派経済学に基づく予算中立性の下では、それだけで生活を送るのに十分な金額のBIは達成できないだろうということを指摘していることの方が、よっぽど重要だ。

Under budget neutrality, the maximum sustainable BIG would be modest. Aggregate demand and employment impacts would be small, and even with some redistribution of working hours; high levels of labour underutilisation are likely to persist. Overall this strategy does not enhance the rights of the most disadvantaged, nor does it provide work for those who desire it.

[拙訳] 予算中立性の下では、持続可能なBIGの最大値は控えめなものに留まるだろう。需要と雇用への影響は小さく、労働時間の再配分をいくらか行ったとしても、高水準の労働力の未利用が続く可能性が高い。全体としては、この戦略は最も不利な立場にある人々の権利を強化するものにはならないし、望む人に仕事を提供するものでもない。*1

またMMTではないが、後藤玲子は、フィリップ・ヴァン・パリースのBI論において、あるいはアマルティア・センに絡めた分配的正義の文脈において、新古典派経済学的な就労インセンティブ議論に基づいている限りは、極めて低いBI水準が社会的に推奨される可能性を否定できないという指摘を行っている。

すなわち、BIの十分な高水準を目指したとしても、それを実現するための個々人の効用関数が新古典派経済学で仮定される基本的性質を満たすのであれば、より低い課税率(代替効果が現れにくい)とより低い給付水準(所得効果が現れにくい)の組合せが推奨されるだろう、と。事実、アメリカで提出された負の所得税(NIT)に関する提案の多くは、低い給付減少率と低い最低保証レベル(日本の生活保護水準未満!)に特徴づけられると述べている*2

むしろ出来る限り高額のBIを、あるいは社会福祉制度の実現を目指すのであれば、マクロの面から見ても、ミクロの面から見ても、新古典派経済学がものすごい障壁として立ちはだかっていることを、まず認識しなければならないということをMMTerであるミッチェル(および後藤)からは学ぶべきだと考えている。

次に「人が労働から離れる」について。はっきり言って、これを言っているのは自称MMTerないしはもぐりMMTerだと思う。所得効果が現れにくい給付水準が望ましいと言っている新古典派経済学者と全く同じ理路に立っていて、馬鹿げているとしか言いようがない。

ミッチェルはどう言っているかというと、さらにワークシェアリングが加速して、二次労働市場が活況することを危惧している(念のため細かいことを言うと、ここでのミッチェルは高額BIの達成は困難で、生活の足しになる程度のBIが実現した場合のみの話をしている)。

Second, it is highly unlikely that labour participation rates would fall with the introduction of the BIG, given the rising participation by women in part-time work (desiring higher family incomes) and the strong commitment to work among the unemployed. But there could be an increase in the supply of part-time labour via full-timers reducing work hours and combining BIG with earned income.

[拙訳] 第二に、(家計収入の向上を望んで)女性のパートタイム労働への参加率が上昇していることや、失業者の間における強い労働意欲を鑑みると、BIG の導入によって労働参加率が低下する可能性は低いと考えられる。しかし、フルタイム労働者がBIG と収入を組み合わせて労働時間を短縮し、パートタイム労働者の供給が増加する可能性がある。*3

他方、1.) BIが実現すれば「こんな仕事辞めてやる!」と劣悪な労働環境の職場に辞表を叩きつけてやることだってできるじゃないかと述べる人がいる一方で、2.) BIが実現すればその分だけ給与や各種手当の切り下げや廃止を目論む経営者もいるじゃないかという人もいる。私は端的にどちらも真だと思っている。ただし、1.)は十分高額なBIの達成が条件である一方、2.)はBIの金額に因らず常に起こり得るもので、専ら低額のBIの際に支配的に作用する。この2.)についてもミッチェルは言及している。

Third, employers in the secondary labour market will probably utilise this increase in part-time labour supply to exploit the large implicit BIG subsidy by reducing wages and conditions.

[拙訳] 第三に、二次労働市場の雇用者はこのパートタイム労働者の供給増加を利用して、すなわち、BIG補助金が生んだこの状況を悪用して、賃金や条件を引き下げる可能性がある。*4

これらを私なりにイメージ化したのが次の図である。

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世帯当たり月10万円のBIが達成した際の収入分布イメージ

図は世帯収入の相対度数分布で、左が1985年、真ん中が2018年を示していて、右が世帯当たり月10万円のBIが達成した場合の私の勝手な分布イメージである。

ざっくり言うと、当然BIの支給によって収入0円近傍の世帯はなくなるのだが、ワークシェアリングの進展と二次労働市場の活況、また資本側による賃金引下げによって、中所得世帯の世帯収入の押し下げも同時に起こる。

私は、最貧困層が激減することを鑑みればそれでも実施する意義はあるのだと考えるけれども、はたしてこのような予想を多くの人が受け入れるのか、という点については疑問が残る。さらに言えば、多くの人がBIに期待していることは、この程度のことなのだろうか。もっとものすごい革新的なことが起こると、期待していないだろうか。

BIは平等を実現すると言えるのか

こちらについては、不正義の是正という観点からは、志賀信夫は厳しく指摘している。

だが、普遍主義的システムであってもBIであっても、個人的差異性に基づく差別とその差別に由来する社会的不利性の除去を根絶できるわけではない。これらは差別の積極的な排除には必ずしも対応していないのである。特定の属性をもつ個人、特定の集団、特定の地域に対する差別と社会的不利性から貧困が生起することも多いという事実に向き合うならば、選別主義的制度から普遍主義的システムへ(あるいはBIへ)という単純な枠組みだけでは貧困問題を緩和・解消できるとは限らない。

普遍主義的システムやBIが実現しても、女性や障害者、性的マイノリティ等への差別、民族差別、地域差別等は解消されない可能性が高い。つまり、いくつかの重大な不正義は是正されえないということである。また、例えば、育ちのなかで家計支持能力の形成が阻害されてきた人物が、経済的困窮状況に陥ってしまった場合の自己責任論と差別はさらに強化されてしまうかもしれない。〈社会としてやるだけのことはやったのだから、あとは自己責任である〉というエクスキューズを与えてしまうかもしれないからである。*5

また、フィリップ・ヴァン・パリースは、その独自のBI理論を提唱する中においても、BIに正当性を持たせるためにもBI以外の施策によって積極的に特定の個人・集団における社会的不利の緩和・除去が求められると述べている。

ベーシックインカムの最大化は非優越的多様性基準という制約の下で行われる必要があるので、この制約条件を満たすのを非常に容易にしてくれる数々の政策に特に注目せねばならない。(予防医療のような)現物の普遍的給付、または、(例えば、学習遅延者に対する特別な教育支援といった)ハンディキャップを阻止する特別な給付、さらには、特別なニーズを持つ人々に対する機転の利いた効果的援助の精神を促進すること。これらはごく一部の実例に過ぎない。*6

強いて言うなら、BIは消極的な社会的不利性の除去に留まる。無論、次のように言うことはできる。すなわち、BIも実現できていないし、特定個人・集団が社会的不利益を被っている現状を変えられるような積極的な施策も実現できていない。そうであるなら、BIがない社会よりBIがある社会のほうがマシですよね、と。

ただし、そのBIが〈社会としてやるだけのことはやったのだから、あとは自己責任である〉というエクスキューズとして働いてはならないことと、常に戦っていくこともまた求められる。言い換えるなら、経済政策としても、社会的正義としても、BIは消極的選択であって、常にセカンド・チョイスであることを忘れてはならないということである。

MMTが何故労働者に拘るのか

まず一応述べておくと、BIに否定的なMMTerであっても、生活保護に相当するような生活保障制度は不要でJGPさえあればいいなんて言っている人は見たことがない。そういう人がいるなら、私は敬遠したいし、必要に応じて批判する。

ただ、ここでこうもりおじさんさんが、MMTが何故労働に拘るのかという疑問というのは、尤もにも見える。これは私見だけれども、こここそMMTが経済学であるところに所以するのだと思う。

すごく大雑把に言ってしまうと、アダム・スミスは人間社会の経済活動を「土地(自然と言い換えても良い)」「資本」「労働」の3つの要素で成り立っていると指摘したけれども、スミスが指摘するまでもなく、人々が無意識にかはたまた幾分かは意識的にかそれを感得して経済活動を行っているという事実は、現代でも変わらないし、これからも早々に変わることはない。他方、専ら生産の主役は労働者であるにも拘らず、生産物の多くを分捕っていくのは資本(家)であるという転倒した社会構造がある。

これらの前提に基づけば、次の2つの方向性が導かれると思う。

  • 労働の供給者である労働者を守らなければ、この社会は持続可能ではない。
  • 専ら「生産と利潤」=「資本の際限なき蓄積」に傾いている人間社会の価値判断が、持続可能性と相反する。

だからこそ労働者に拘ることになる。そして、生産に寄与しないなどとして労働市場から弾かれている子ども、高齢者、障害者らこそが、労働者にすらなれない=半永久の失業者という意味で、資本主義の最大の被害者だということになる。

個人的に子どもは労働市場に投入せずに守らなければならないと思うので子どもは除くが、チャーネバが「労働者」と言ったとき、そこに高齢者や障害者が入っても構わないし、むしろ入っていなければならない。チャーネバは絶対に含んで発言していると私は思っている。

幾分挑発的な言い方になるかもしれないが、「労働者」というくくりからは脱しておらず,福祉というには半世紀近く遅れているという弁に対しては、「労働者」という言葉に先立つ、生産に寄与するかしないかという我々自身の近視眼的な価値判断こそが我々の最大の敵であって、労働をもっと広い目で見て、子ども、高齢者、障害者らが肩見の狭い思いをせずに生きていける社会を構築しようという理念が、MMTには、あるいは、本当の意味での経済学にはあるのだと考えている。

また言い換えるなら、社会福祉や分配的正義の観点から、子ども、高齢者、障害者の権利保護は当然できるのだと思うけれども、専ら「生産と利潤」に傾いている我々の価値判断にメスを入れるという意味では、MMT/経済学にこそメリットがあるのではないか。

徒然BI[1] - BI/NITで達成できるだろう不正義の是正|生活保護に置き換えるBI/NIT

承前

先日、twitterにてしげさんに佐々木隆治、志賀信夫編著『ベーシックインカムを問いなおす:その現実と可能性』(2019)を紹介してもらって*1、久しぶりにBIに関する著書を手に取ってみた。日本においては2010年前後に議論しつくされたかのように見えるBIをいくつかの角度から再検討している著書で、なかなか良い本に思えている。

他方、にゅんさんのブログ記事:断章49 MMT三題噺(ベーシックインカム・日銀ETF・国債買いオペ) | 不自由な思考をめぐってを見て、後藤玲子先生の問題意識とも通底するものがあると感じた次第であった*2

残念ながら、Twitterで見かけるBI支持者の中には何を目的としてBIを訴えているのかが定かでない人も見受けられる。例えば、BIが賃労働に因らない所得保障を目指すものとして規定したとして、果たしてそれは正義なのだろうか。私個人は一つの正義の道だとは考えるが、多くの異論があるだろう。他方では、次の不正義の存在については多くの人が首肯し、反論を持つ人は少数ではないのだろうか。捕捉率20%未満と言われ公正と言えない、また、過酷なスティグマ付与について指摘が絶えない生活保護制度という不正義である。

この不正義の是正という観点でBIの意義を探ってみようと、とりわけ日本における生活保護に内在する不正義を是正することを目的としたBIを構想できないかと、久しぶりにキーボードを叩いてみた。

正義の推進ではなく、不正義の是正の重要性

残念ながら、ベーシックインカム論議の多くは、既存の社会的保護制度の代替案としての妥当性を問うものに終始している。(中略)しかし、ベーシックインカムを推進すべき真の理由は、それとは別のところに求めるべきだ。そのなかでも最も重要なのが社会正義である。*3

ガイ・スタンディングはこうしてBIの社会正義の側面を強調する。これについては著書か拙稿*4にあたっていただきたい。

対して、志賀信夫はセンを引いて述べる。

だが、政策の妥当性は、社会正義を推進するのみならず、不正義の是正という観点からも検討する必要がある。センは、社会正義の推進と不正義の是正を概念的に区別したうえで、後者の重要性についても看過すべきでないと主張しており、私もこうしたセンの主張を支持している。*5

生活保護に代わりBI/NIT導入により是正が期待できる不正義

私個人もセン-志賀の主張を支持する。とりわけ日本におけるBIの第一義の意義とは、生活保護制度に対するカウンターとなり得る点、ここにあるものと強く考えるためである。

簡潔に述べれば、既存の生活保護制度におけるの次の2点の不正義是正の可能性がある。

  • 20%以下と見積もられている、世界的に見ても極めて低い捕捉率
    • BIにて社会成員全員に給付されることによる捕捉率の改善
  • 上記低い捕捉率にも関連する、苛烈な申請主義によるスティグマの付与
    • 給付条件緩和および申請手続き簡素化によるスティグマ付与の軽減・回避

BIでは達成できないだろう不正義の是正

ここで一旦、BIでは達成できないだろう不正義の是正について述べておく。個人的なtwitterの観測範囲ではこの点について飛び越えてBIを主張している人が見受けられるためだ。とりわけ気になるのは、BIが普遍主義的側面を持つことを指摘するに留まらず、選別主義的な既存社会福祉制度への批判までをBIの射程に含めての発言である。

結論から述べれば、不正義の是正という観点では当然BIのみでは不十分であり、また、BI以外の施策として選別主義的なものが必要になるだろう。志賀は厳しく指摘している。

だが、普遍主義的システムであってもBIであっても、個人的差異性に基づく差別とその差別に由来する社会的不利性の除去を根絶できるわけではない。これらは差別の積極的な排除には必ずしも対応していないのである。特定の属性をもつ個人、特定の集団、特定の地域に対する差別と社会的不利性から貧困が生起することも多いという事実に向き合うならば、選別主義的制度から普遍主義的システムへ(あるいはBIへ)という単純な枠組みだけでは貧困問題を緩和・解消できるとは限らない。

普遍主義的システムやBIが実現しても、女性や障害者、性的マイノリティ等への差別、民族差別、地域差別等は解消されない可能性が高い。つまり、いくつかの重大な不正義は是正されえないということである。また、例えば、育ちのなかで家計支持能力の形成が阻害されてきた人物が、経済的困窮状況に陥ってしまった場合の自己責任論と差別はさらに強化されてしまうかもしれない。〈社会としてやるだけのことはやったのだから、あとは自己責任である〉というエクスキューズを与えてしまうかもしれないからである。*6

言いなおせば、女性、障害者、性的マイノリティ、民族や出身地域といった個人的差異が貧困の主要因であるのなら、貧困の再生産の構造はBIによって温存され得るし、場合によっては強化され得る

この意味で、BIの導入を訴えるうえでは、何のためのBIなのか、という具体的目的の設定と運用が肝要になってくる。このBIの目的を「(賃労働に因らない)最低所得保障」と設定してみたところで、その目的からは既存の社会不正義の温存の可能性を除去できない。これをBIの目的とするのでは、少なくともそのBI単体は政策提言としては不十分ないし不適切である。その他政策と組み合わせて提言するか、BIの効果を適切に評価し、その効果の範囲で達成可能な目的を設定する必要があると言える。

生活保護に置き換えるBI/NIT

ここで改めて生活保護に置き換えるBI/NITを考えてみる。

  • 月額3-5万程度支給(生活保護との当面の併用を考慮した暫定額)
    • 成人のみ対象
    • 課税対象
    • 個人年収400-450万以上で実質±0課税
    • 以下、支給方法については選択式
      • 過去1年分の課税差額を受給(無申告時はこちら)
      • 単純な毎月受給(申告時、過去1年分の差額一括請求可能)

月額3-5万円の低水準支給

生活保護に置き換えると言っておいて月額3-5万程度支給といきなり生活保護よりも低水準だが、これは当初運用は生活保護制度との併用を想定している。この準備段階における目的は2点あり、

にある。

生活保護受給者においては、制度併用によることで実質的に増額となるが、例えば現行の生活保護においては生活に必要な範囲での預貯金は一切考慮されていない*7。預貯金が認められているケースでも、預貯金を考慮していない最低限度の生活に必要とされる給付金を節約して預貯金に回すということが行われているのが実態である。生活に必要な預貯金なども含め、ケースワーカーへの申告の必要のない金銭が年間36-60万程度あっても良いのではないか。

評価も踏まえて、生活保護の上記BIへの完全切替を目指す。ただし、この切り替えには世帯単位から個人単位への切り替えも含むため、十分な議論も必要となろう。

課税対象、かつ年収400-450万以上での実質±0課税

課税対象であり、かつ年収400-450万以上での実質±0課税であるから、トニー・フィッツパトリックの定義*8に従うなら”条件付き”の給付であるため、これはBIではなくNIT(負の所得税)と呼ぶべきだろう。あるいはNITですらもないとする人もいるかもしれない。ただし、呼称などどうでも良いことで、生活保護における不正義是正という目的が達成されるのであればそれで良い。ただし、よくあるNITと比較するのであれば、通常のNITが所得申告が前提であることに対し、可能な限り申請主義の緩和を目指した。

月額3-5万円、かつ年収400-450万以上での実質±0課税

厚生労働省による2019年家計調査によると、2018年の日本の全年齢の年収中央値は437万円となっている*9

これは副次的な目的となるが、相対貧困率の効果的な改善と、おおよそ年収中央値までの所得差緩和を想定した。また、この年収400-450万までの支給額スライド部分(=基礎控除の設定)については議論の余地がある。具体的には、現行の基礎控除は年収2,400万円以下においては48万円と一定だが、年収400-450万以下という低収入部分での控除額の増額をどのように設定するのかということになる。

また、個人への支給であることから言えば、本BI導入に併せて配偶者控除および配偶者特別控除の全面廃止を併せて検討しても良いと考える。

選択式の支給方式

  • 過去1年分の課税差額を受給(無申告時はこちら)
  • 単純な毎月受給(申告時、過去1年分の差額一括請求可能)

繰り返しになるが、可能な限り申請主義の緩和を目指した。日本では源泉徴収制度の普及もあり、源泉所得税の収納率(収納済額/徴収決定済額)は全国で96.2%、申告所得税も含む所得税全体の収納率は92.6%と高い*10。過去1年分の課税差額を受給することにすれば、源泉徴収の対象である会社員らはBIとしてもらった分を使ってしまって確定申告時に返せなくなる、といったトラブルを極力抑えることができる。

他方、例えば収入状況に変化が生じて生活費としてすぐにでもBIが欲しい場合には、単純な毎月受給に切り替えることができる。過去1年分の差額がある場合は、その差額を一括請求することで一定額のまとまった金銭を手にすることもできる。

成人のみ対象

この点においてもBIではないと否定する向きもあるかもしれない。ただし、BIはベーシック・ニーズを必ずしも満たすものではない。これは、個人的には未成年であればあるほど顕著であると考えており、また、支給されたBIがその未成年のために全て使われるとは限らない。金銭的な支給が必要なのであれば、現行の児童手当の見直しで十分と考える。

生活保護をBI/NIT方式に置き換えることで、より身近で誰もが気軽に活用できる制度へ

以上は、まだ荒いところもあるが以下の生活保護に内在する不正義の是正を目的として提示した。

  • 20%以下と見積もられている、世界的に見ても極めて低い捕捉率
    • BIにて社会成員全員に給付されることによる捕捉率の改善
  • 上記低い捕捉率にも関連する、苛烈な申請主義によるスティグマの付与
    • 給付条件緩和および申請手続き簡素化によるスティグマ付与の軽減・回避

率直に述べると、生活保護に置き換えるBI/NITについては提示するべきではないと考えていた。巷では竹中平蔵や維新の会が社会保障の一体的見直しを目的としたBIを提唱しており、これと同類に見られるのは心外であったし、組み入れられて議論されることが怖かったからだ。

しかし、目的をはっきりと限定した形でこのように提示してみると、社会保障の一体的見直しを目的としたBIとは違うものが提示できたのではないかと考えている。

補論:BIや生活保護はベーシック・ニーズを決して充足させるものではない

BIはベーシック・ニーズを決して充足させるものではない。

ベーシックインカムの定義においては、何らかのベーシック・ニーズ概念はまったく関係がない。定義から言えば、ベーシックインカムは見苦しくない生存にとって必要とされるものに足りないことも、それを超過することもあり得るのだ。*11

もちろん、トニー・フィッツパトリックの定義をなぞって*12、それを満たすようなものを”完全BI”(=UBI)と呼び、UBIをこそ目指すのだと続けることもできる。

しかしここでは生活保護もまたベーシック・ニーズを決して充足させるものではないし、充足させることを検討することには困難があることを指摘しておく。

現在の生活扶助基準の見直しは、生活保護利用者を除く低所得世帯(収入順に並べて10分割して、一番収入が低いグループ)が日々使っている金額(消費支出)と比較して行われています。これを「水準均衡方式」と言います。

(中略)

格差縮小方式以降の特徴というのは、生活保護を利用していない世帯の消費水準と比較しながら基準の見直しを行うというところにあります。この方式は、日本に住んでいる人の所得が全体的に向上している時であれば、問題は少なかったかもしれません。しかし、保護を利用していない低所得世帯の消費水準が下がれば、基準もまた下がっていきます。そして現在の日本では生活保護制度の捕捉率は2~3割と言われており、保護基準以下の収入で生活している人が大勢いると考えられます。このような状況で水準均衡方式を使うと、どんどん基準が下がっていくのではないかということが懸念されます。そしてその時、果たして生活保護の基準は「健康で文化的な最低限度の生活」を保障するものになっているのだろうか、そもそも「健康で文化的な最低限度の生活」とは何か、ということが(改めて)問題になります。*13

このように、生活保護の生活扶助基準は、主に労働にて所得を得ていると見てよい低所得世帯との比較で決定される。長らく生活扶助基準の決定がこのように行われてきたのにもかかわらず、日本におけてUBIを目指したとして、その基準額がこれを大きく上回って認められることには大きな困難があるだろうことは容易に想像がつく。

他方で、絶対的基準を積み上げる考え方をしても困難を伴う。

岩永は1948~69年における保護基準の変遷を考察した。それによると、1965年から始まる格差縮小方式においても、生活扶助基準以外の扶助基準引き上げの根拠は見いだされにくく、全体的な中身の豊富化は実施面によることになった*14とされる。

(中略)「どの程度の水準でいかなる人の生活を保障するか」は保護基準策定過程で論じられてきた。しかし、生活保護制度が結局どのような生活を保障するかは、個々の生活実態をみなければならなくなってきた。ただし、本稿で検討した限り明らかな保護基準策定上一貫して用いられた規範があった。それは「最低限度の生活」として「必要栄養摂取量をみたすか」という規範である。このことは、実態として保障される「最低限度の生活」が豊富化された場合でも、栄養以外を充足する根拠が不確かなことを示すのではないだろうか。*15

この推論に従えば、以下のような状況の改善は根源的な困難を持っていると言えるかもしれない。

関西地方のケースワーカーや研究者でつくる「生活保護情報グループ」が、政令市、中核市特別区(東京23区)の計105自治体の生活保護世帯に対するエアコン購入費の支給状況を調べたところ、自治体間で約30倍の格差があることが分かった。国は熱中症予防のため2018年度から、エアコンの購入費用を支給することを認めるようになったが、同グループは生活保護世帯への説明が不十分な自治体があるとみており、制度の周知徹底を求めている。*16

生活保護世帯にエアコン購入費を認めたのがついこの間の2018年であった(貸付を利用すればそれ以前にも購入はできた)。記事中では自治体による格差が指摘されているが、次のような実態もある。生活扶助には冬季加算は認められていても夏季加算は認められていない。結局電気代が嵩むのが怖くてエアコンの利用ができない世帯があるだろう点については改善していないのが現状である。

思うに、岩永が「最低限度の生活」*17と敢えてかっこ書きするように、最低限度の絶対的基準を定めようとすることに困難がある。「健康で文化的な最低限度の生活」とは、栄養摂取に関する部分以外においては生活保護制度を利用していない世帯よりも豊かとはいえない生活」として事実上作用しているわけだ。この転換は大きなものになるだろうし、かつ、転換した方針もまた、現状とは異なる”公正さ”を担保しておく必要がある。私個人は、これに代わる”公正な方針”をうまく提示することができない。

補論:十分な金額のUBI、あるいは生活保護費を達成することができるのか

UBIに抵抗があるのは、実質所得のフロアがギリギリで良い、切り下がっても仕方がないと政府が考えているような背景の下では、ゼロ金利の下で無限の国債買い切りが無効であるのとちょうど同じように、無限のUBIだって無効だからです。

むしろ、生活保護の切り下げや増税社会保険料の増といった形で実質所得はそのまま維持される。

だから、順番として、財政赤字がいくらになろうとも実質所得をちゃんとするという強いコミットが必要なわけですよ。民営化を推し進め、消費税の存在や社会保険料の高負担を残したままの政府によるUBIはまるで無意味ということです。*18

にゅんさんにかこつけて言えば、消費税、あるいは高負担の社会保険料という社会的不正義を是正する効果はBIにはない。ただし、これらの廃止も併せてやればよいという訴えもあり得るだろう。そのうえで、BIによって高水準の実質所得を達成することは可能だろうか。

UBIの破壊的シナリオ

2019年の記事になるが、全労連が推計した単身者の最低生計費は月23万円/年276万円だった。

(中略)人並みの生活に必要な費用を算出するマーケットバスケット方式を採用した。25歳単身者で賃貸居住の条件の場合、最低生計費は平均で月23万1188円になった。そのために必要な時給は、月150時間労働で1541円、祝日なしで月173・8時間働いた場合でも1330円。現行の最賃と比較すると、月13~15万円不足する。*19

もし、仮にUBIが現行の日本で最低生計費を保証しようとするのであれば、2021年1月の15歳以上人口は1億1000万人強であり、これに上記金額を給付すると考えるとおおよそ300兆円、2020年の名目GDP539兆円の60%弱に相当する。

こうした巨額拠出による高水準のBI達成について、ビル・ミッチェルが以下のような破壊的なインフレ・パターンを提示していることは既に述べた*20

  • 均衡財政志向に留まらない、高水準のBIの導入
  • 通貨価値の下落、インフレ・バイアスの発生
  • 財政支出削減による金利調整、あるいは増税
    • 労働者らの労働市場からの脱落、総労働力供給量の減少

私はそれでもBIの導入を模索したいと考えるが、上記のような破壊的シナリオが提示されていること、国家単位でのBI導入事例はイラククウェート等数少ないことを鑑みると、目標として高水準のBIを掲げるにしても、拙速にそれを求める前に、低水準のそれでテストを行うべきではないかと考える。

主流派ミクロ経済学に従う場合の、低水準BIあるいは生活保護費のシナリオ

むしろこうした高水準のBIの達成よりも、既存の生活保護費や最低時給が低水準に抑えられていることを鑑みれば、BIが実現できたとしてもなお、それは低水準に抑えられると考えるのが妥当である。日本におけるBIの先行研究をここでは逐一取り上げないが、それら先行研究は予算中立性に依拠していることもあり、その試算額は7-10万円程度に過ぎない。

さらに承前にて言及した後藤玲子は、予算中立性を取り除いてもなお、新古典派経済学的な就労インセンティブ議論に基づいている限りは、極めて低いBI水準が社会的に推奨される可能性を否定できないという指摘を行っている。

すなわち、BIの十分な高水準を目指したとしても、それを実現するための個々人の効用関数が新古典派経済学で仮定される基本的性質を満たすのであれば、より低い課税率(代替効果が現れにくい)とより低い給付水準(所得効果が現れにくい)の組合せが推奨されるだろう、と。事実、アメリカで提出された負の所得税(NIT)に関する提案の多くは、低い給付減少率と低い最低保証レベル(日本の生活保護水準未満!)に特徴づけられると述べている*22

こうして新古典派ミクロ経済学に立脚する以上は高水準の社会保障費そのものの実現が困難であるにもかかわらず、一部のBI支持者は高水準のBI導入による経済的効果を新古典派経済学に基づいて推論するなどといったことを行っていたりするのである。前掲の経済学者であるガイ・スタンディングもまた、自然失業率を例に挙げて雇用保証を批判する割には*23、高水準のBIが目指されるべきだという点については専ら社会正義の側面のみを強調するに留まり、自らが依拠する経済学的前提を厳格にそこに適用することがない。

*1:「@RockofBuddhism ちなみに、佐々木隆治さんの論を見るならこれよりも「ベーシックインカムを問い直す」のほうが良いです。BIは究極の社会保障かとほぼ同じ内容が載った後に「ベーシックインカムの可能性」という章が追加されています。」 / Twitter

*2:フィリップ・ヴァン・パリース 著|後藤玲子、齊藤拓 訳『ベーシック・インカムの哲学―すべての人にリアルな自由を』(1995-2010, 訳者解説2, pp.455-469)|または|アマルティア・セン後藤玲子 著『福祉と正義』(2008、終章、pp.263-296)

*3:ガイ・スタンディング 著|池村千秋 訳『ベーシックインカムへの道』(2017-2018, pp.37)

*4:BI(ベーシックインカム)の政治哲学的根拠、およびJGPの可能性 - rory / 仏教ロック!のプラモデル日記

*5:佐々木隆治、志賀信夫編著『ベーシックインカムを問いなおす:その現実と可能性』(2019, pp.170)

*6:佐々木隆治、志賀信夫編著『ベーシックインカムを問いなおす:その現実と可能性』(2019, pp.171)

*7:c.f. 貯蓄もダメ?生活保護世帯の首を真綿で絞める「資産申告書」 | 生活保護のリアル~私たちの明日は? みわよしこ | ダイヤモンド・オンライン

*8:トニー・フィッツパトリック 著、武川正吾、菊地英明 訳『自由と保障―ベーシック・インカム論争(1999-2005, pp.41-45)

*9:2019年家計調査 - 厚生労働省

*10:都道府県別徴収状況|国税庁

*11:フィリップ・ヴァン・パリース 著|後藤玲子、齊藤拓 訳『ベーシック・インカムの哲学―すべての人にリアルな自由を』(1995-2010, pp.56)

*12:トニー・フィッツパトリック 著、武川正吾、菊地英明 訳『自由と保障―ベーシック・インカム論争(1999-2005, pp.41-45)

*13:生活保護の基準を考える | 特定非営利活動法人自立生活サポートセンター・もやい

*14:岩永理恵 著『「最低限度の生活」の規範――保護基準策定過程(1948~69)からの検討』(岩田正美 監修『リーディングス 日本の社会福祉 2 貧困と社会福祉』所収(2009, pp.236-248))

*15:岩永理恵 著『「最低限度の生活」の規範――保護基準策定過程(1948~69)からの検討』(岩田正美 監修『リーディングス 日本の社会福祉 2 貧困と社会福祉』所収(2009, pp.236-248))

*16:生活保護世帯のエアコン 自治体間で支給状況に30倍の格差 | 毎日新聞

*17:岩田正美 監修『リーディングス 日本の社会福祉 2 貧困と社会福祉』所収(2009, pp.236-248))

*18:断章49 MMT三題噺(ベーシックインカム・日銀ETF・国債買いオペ) | 不自由な思考をめぐって

*19:最低生計費は月23万円強に/全労連が発表/地域間で差は見られず - 連合通信社

*20:徒然JGP[2] - ビル・ミッチェルによるBI批判とヴァン・パリースとの距離 - rory / 仏教ロック!のプラモデル日記

*21:Options for Europe – Part 83 – Bill Mitchell – Modern Monetary Theory

*22:フィリップ・ヴァン・パリース 著|後藤玲子、齊藤拓 訳『ベーシック・インカムの哲学―すべての人にリアルな自由を』(1995-2010, 訳者解説2, pp.455-469)|または|アマルティア・セン後藤玲子 著『福祉と正義』(2008、終章、pp.263-296)

*23:ガイ・スタンディング 著|池村千秋 訳『ベーシックインカムへの道』(2017-2018, pp.235-236)

徒然JGP[2] - ビル・ミッチェルによるBI批判とヴァン・パリースとの距離

承前

ビル・ミッチェルのブログを読んだら、説得的なBI批判をしていて納得するところが非常に多かった。MMTerによるBI批判の中では、最も説得的なのではないかと思われた――というか、これまで見聞きしてきたものについては、十分に説得的なものと思えず舌足らずな印象で、ずっと不満を持ち続けていた。最初からこれを読めばよかった…という後悔の念が襲う。

また、ヴァン・パリースらもしばしば引かれており、BIについてもかなり読み込んでいるのだなということが感じられた。

試しにブログ内を"Parijs"で検索してみると、12記事しかない*1。これに加えて、つい最近書いてくれたJGPに関する歴史的な経緯についての最良の記事もある*2。このくらいならば読み込んで、ミッチェルによるBI批判を日本語でまとめて、また自身の考えや知識とも接合してみようと考えてみた次第である。

まず、ミッチェルによるBI批判の要旨についてまとめてみる。

次に、ヴァン・パリースの理路における雇用レント概念について、ミッチェルによる理解に誤りが見られるため、この点について指摘する。これは、ミッチェルによるBI批判の有効性に決して影響を及ぼすものではない。ただし、ミッチェルによる的確なBI批判を受けてもなお、BIがその他の社会保障政策を補完する再分配政策として公正なものである可能性を改めて指摘することとなる。

最後に、下世話な推測も含んだ話を添える。

ビル・ミッチェルによるBI批判の要旨

前提:経済認識、特に失業問題発生原因についての認識の相違

まず、経済認識について。とりわけ失業問題の発生原因について、ミッチェルのブログから。

The BIG conception of income insecurity and unemployment is highly problematic. The existence and persistence of unemployment and the link to income insecurity is generally recognised by BIG advocates but the former is rarely explained. An exception, is leading BIG advocate, Belgian academic Philipe van Parijs who presents both an explanation of unemployment and a related model of BIG financing. Drawing from orthodox neoclassical theory, Van Parijs considers that unemployment arises because wage rigidities impede atomistic competition and prevent the labour market from clearing.

[拙訳] 所得不安と失業に関して、BIG (Basic Income Guarantee) の概念には非常に問題がある。失業の存在とその持続性、および所得不安との関連性は、一般的にBIG提唱者によって認識されている一方、前者についてほとんど説明されていない。例外的にBIG提唱者の第一人者であるベルギーの学者フィリップ・ヴァン・パリースは、失業の説明とBIG財政の関連モデルを提示している。ヴァン・パリースは、正統派の新古典派理論から導き出し、賃金の硬直性が原子状的競争と労働市場清算を妨げているために、失業が発生していると考える。*3

まず第一に重要な指摘は、所得不安はともかくとして、失業という現象についてどのように捉えているのかという点に、BI提唱者の多くが答えを持っていないということである。さて、例外であるヴァン・パリースの失業に関する記述を著作より引用すると…

(中略)現在のわれわれは非-ワルラス的な経済にいるのだと、つまり、何らかの理由に拠って労働市場は均衡する傾向にはないのだと仮定してみよう。(中略)インサイダー/アウトサイダー・アプローチによれば、組合組織がないとしても、現に雇用されているという事実や、職業訓練や解雇のコストなどから派生する交渉力のおかげで、労働者たちは市場均衡水準をはるかに超える賃金を継続的に要求することができるという。効率賃金アプローチによれば、賃金と労働生産性との間にはポジティブな因果的連関があるので、市場均衡賃金以上を労働者たちに支払うのは企業の利益になるという。(中略)このようにこれら二つのアプローチのいずれの説をとろうとも、完全に構想的な経済でさえ、ここで示されたような意味において、非-ワルラス的経済であり得ることになる。*4

ヴァン・パリースはインサイダー/アウトサイダー・アプローチおよび効率賃金アプローチで賃金の硬直性を指摘しており、これが失業を産み出していると述べている――つまり失業問題は競争均衡から外れることで生じる問題であると論じている。

MMTとしてはこれは受け入れられるものではない。MMTにおいて失業は、自然失業率やNAIRUの概念に従って、失業率を減らすために(裁量的な)財政拡大を使う必要はないという、政府によるマクロ経済政策による結果(失敗)である*5*6*7

加えて、こうした新古典派経済学的な考え方にもとづく経済理解から、次のような立場もBIにおいてはよく見られるものである。

In addition to constructing the problem of income insecurity incorrectly, the mainstream BIG literature advocates the introduction of a BIG within a ‘budget neutral’ environment. This is presumably to allay the criticism of the neo-liberals who eschew government deficits.

[拙訳] 主流の BIG (Basic Income Guarantee) 文献は、所得不安の問題を誤って構築していることに加えて、「予算中立」の環境において BIG を導入することを提唱している。これはおそらく、政府の赤字を敬遠する新自由主義者らの批判を和らげるためであろう。*8

これはBIの文章に触れたことのある人の多くが納得することだと思われる。BIの文脈において、財源は常に問題となってきた。なお、ヴァン・パリースは後述する雇用レント概念に基づいて、所得課税を財源とすることを提案している*9

無論、MMTあるいは簿記会計的事実を「輸入」して財政制約はないとしてBIを訴える人も今では少なくないのかもしれない。これについては後述する。

ミッチェルによるBIシナリオ1:予算中立性の下で給付されるBIは控えめな金額に終わる可能性

ミッチェルによるBI批判の文脈では、その導入に伴う大きく2つのシナリオが提示されている。まず1つ目。

I have always argued that BIG is palliative at best.

[拙訳] 私は常に、BIG はせいぜい緩和的なものだと主張してきた。*10

また別のところでは…

Under budget neutrality, the maximum sustainable BIG would be modest. Aggregate demand and employment impacts would be small, and even with some redistribution of working hours; high levels of labour underutilisation are likely to persist. Overall this strategy does not enhance the rights of the most disadvantaged, nor does it provide work for those who desire it.

[拙訳] 予算中立性の下では、持続可能なBIGの最大値は控えめなものに留まるだろう。需要と雇用への影響は小さく、労働時間の再配分をいくらか行ったとしても、高水準の労働力の未利用が続く可能性が高い。全体としては、この戦略は最も不利な立場にある人々の権利を強化するものにはならないし、望む人に仕事を提供するものでもない。*11

ミッチェルは、均衡財政志向の下ではそれで生活設計ができるような十分な金額のBIは望めないだろうというシナリオを提示している。

補足すれば、新古典派経済学の観点からは以下の点でも当てはまるだろう。

ヴァン・パリースの前掲書の訳者である後藤は、新古典派経済学的な就労インセンティブ議論に基づいている限りは、極めて低いBI水準が社会的に推奨される可能性を否定できないという指摘を行っている。

すなわち、BIの十分な水準を目指したとしても、それを実現するための個々人の効用関数が新古典派経済学で仮定される基本的性質を満たすのであれば、より低い課税率(代替効果が現れにくい)とより低い給付水準(所得効果が現れにくい)の組合せが推奨されるだろう、と。事実、アメリカで提出された負の所得税(NIT)に関する提案の多くは、低い給付減少率と低い最低保証レベルに特徴づけられると述べている*12

これはBIに限らず現行の社会保障費全般に言えることである。著しく低い捕捉率という大きな課題がある一方で、その給付金額については世界的にも比較的高水準だと言われている生活保護費ではあるが、(世帯構成にもよるが、少なくとも単身世帯では)最低賃金でのフルタイム労働での収入にも及ばない。さらに全労連の過去の試算では単身者の最低生計費は平均で月23万円必要と出ているが*13、これも最低賃金と比較すると10万円以上不足する。

ミッチェルによるBIシナリオ1.5:BIによって平均的な生活水準の低下を招く可能性

さらにミッチェルは続けて以下のような可能性も指摘している。俗なBI批判では直線的に労働力供給に問題が出るとの批判があるが、ミッチェルの理路はやや複雑である。これについて順に見ていきたい。

Second, it is highly unlikely that labour participation rates would fall with the introduction of the BIG, given the rising participation by women in part-time work (desiring higher family incomes) and the strong commitment to work among the unemployed. But there could be an increase in the supply of part-time labour via full-timers reducing work hours and combining BIG with earned income.

[拙訳] 第二に、(家計収入の向上を望んで)女性のパートタイム労働への参加率が上昇していることや、失業者の間における強い労働意欲を鑑みると、BIG の導入によって労働参加率が低下する可能性は低いと考えられる。しかし、フルタイム労働者がBIG と収入を組み合わせて労働時間を短縮し、パートタイム労働者の供給が増加する可能性がある。*14

まず、ミッチェルは労働参加率が高まる可能性を指摘している。関連して例えば、BI推進の第一人者であるイギリスの経済学者、ガイ・スタンディングはその著書で、以下のような調査結果や実験結果を紹介している*15

  • 2016年6月。スイスにおけるBI導入をめぐる国民投票実施前のある世論調査:経済活動をやめると答えた人は2%に留まり、半分以上がスキルを身につけるためのトレーニングを受けたいと答えた。他方、40%がボランティア活動を始めたいあるいは増やしたい、53%が家族といる時間を増やしたいと答えた。*16*17
  • ナミビアで行われたBIの試験プロジェクト:給付によって経済活動全般が拡大した。*18
  • インドのマディヤ・プラデシュ州での大規模なBI試験プロジェクト。大人(特に女性)の仕事量と労働量が増えた。*19

最近ではアメリカにおける初のBI実験に関する報告書が発表されたとの報道があった。カリフォルニア州北部に位置する人口30万人のストックトン市において、市民125名を対象に毎月500ドルを24か月間支給する社会実験が行われた。結果として受給者のフルタイム労働の割合が増加したという*20

これは、より給与の高い仕事への転職活動がしやすくなったり、求職活動に必要な資金を賄うことができたりと、BIを元手としてより生活水準を向上させる行動に移す人が多いということと認識できる。

しかし、これが大規模に行われた場合、とりわけ、およそ先進国において行われた場合について、ミッチェルは悲観的な可能性を指摘しているということとなる。

失業者ないし低所得層はBIを元手に求職ないしより高収入の仕事への転職を求める。他方、一定以上の収入を得ている層は、勉強やボランティア活動、家族と過ごす時間を増やすために、多少勤労所得が減ってもBIで補えれば良いと判断し労働時間を減らす。要は、ワークシェアリングがより進展すると見ているわけである。

Third, employers in the secondary labour market will probably utilise this increase in part-time labour supply to exploit the large implicit BIG subsidy by reducing wages and conditions.

[拙訳] 第三に、二次労働市場の雇用者はこのパートタイム労働者の供給増加を利用して、すなわち、BIG補助金が生んだこの状況を悪用して、賃金や条件を引き下げる可能性がある。*21

他方、BIが給付されることで、有給の仕事が増えるわけではない。二次労働市場は労働者供給が増えることで買い手市場となり、賃金や労働条件が引き下げられる可能性を指摘している。

この点について補足すると、70-90年代にかけてのBI批判には、雇用者が給付されるBIの分だけ労働賃金を引き下げる可能性が高いというもの多かった*22。ミッチェルにおいてはこの辺りも念頭に置かれているだろう。

BI給付開始が即賃金低下に繋がるとは思えないが、どこかの大企業が市井からの批判に構わずそのような判断をした場合には、一気に賃金引き下げが広まる恐れというのはあるかもしれない。

Fourth, some full-time jobs may be replaced with low wage, low productivity part-time jobs leading to falling investment, skill accumulation and ultimately falling average living standards.

[拙訳] 第四に、一部のフルタイム雇用が低賃金で生産性の低いパートタイム雇用に置き換わる可能性があり、投資や技能蓄積の減少を招き、最終的には平均的な生活水準の低下を招くことになる。*23

さらにミッチェルは続けて、フルタイム雇用が低賃金のパートタイム雇用に置き換わり、これが(設備)投資や技能蓄積の低下、そして最終的には平均的な生活水準の低下を招くことになる可能性を指摘している。

BIがそれを引き起こすのかはひとまず措くとして、フルタイム雇用が低賃金のパートタイム雇用に置き換わることが、産業の不振やサービス低下、ひいては労働者の生活水準の低下を招くというのは、とりわけここ20-30年ほどの日本を見てきた人にとっては首肯するところが大きいのではないか。日本の場合、これは派遣法改正などの労働規制の大幅な緩和、ならびに法人税減税などによって引き起こされたわけではあるが。

以上、ミッチェルのやや複雑な推測を見てきたが、個人的な考えを述べると、あくまでミッチェルの言う指摘は、悲観的な可能性に留まるものと考えている。というのも、上述したようなナミビアのような事例、つまり発展途上国で経済規模の伸びしろのあるケースにおいては、貧困層が貧困からの脱出のためにBIを元手に利用してプラスに働くケースというのも考えられるからである。他方、先進国においてはミッチェルの述べるシナリオを辿る可能性は高まるだろう。

竹中平蔵がBIを提案する理由

余談ではあるが、日本において竹中平蔵日本維新の会が、現行の生活保護社会保険を置き換える形でのBIを提案したりしているが、私は彼らの真の目的は、ミッチェルが指摘する可能性――さらなる非正規雇用増加と低賃金労働市場の拡大ではないかと思われる。

パソナのような派遣業の私企業からすると、生活保護をBIに置き換えたところで大したメリットはない。社会保険を置き換えることができたなら、企業負担分が丸々なくなるわけで大喜びであろう。が、この置き換え案について竹中平蔵が昨年のテレビで披露するとTwitterをはじめとしてネット上で大いに反論が起こり、竹中は決して置き換えを目指すものではないとの方向修正を迫られることとなった。

しかし、これは最初から竹中のシナリオに組み込まれているものであり、単なる交渉術(ドア・イン・ザ・フェイス)ではないのか。確かに社会保険がなくなるのであれば企業負担分も浮くので雇用者側にも相当なメリットになるが、それなしでもBI導入によるワークシェアリング進展が雇用者側のメリットになる可能性は高い。

単純な正規雇用から非正規雇用への転換には限界が来ている。よって、これまで就業を諦めていた潜在失業者層にはBIを元手に学習や就職活動などさせて労働市場へと参入させ、労働時間を減らしてもBIで収入が下がらないのであればと考える正規雇用層を非正規雇用層へと転換させる。このような二次労働市場の盛況、非正規雇用の拡大こそが最大の目的と思える。

ミッチェルによるBIシナリオ2:高水準のBIによる破壊的なパターン

ここまで、新古典派経済学に従うことによって、BIの給付水準が低いものに留まる可能性についてみてきたが、当然、反論があるだろう。すなわち、先にも触れたように、MMTあるいは簿記会計的事実を「輸入」して財政制約はないとしてBIを訴える者によって、生活設計が成り立つような十分な額のBI支給は可能だ――明け透けなく言えば、月に20万円でも30万円でも40万円でもBIを給付することは可能だ――という反論である。

しかし、このようなケースについてはミッチェルはより厳しいシナリオを提示している。これについての記述はやや言い回しが難解であるため、簡便のために箇条書きにしてみる。

  • 均衡財政志向に留まらない、高水準のBIGの導入
  • 通貨価値の下落、インフレ・バイアスの発生
  • 財政支出削減による金利調整、あるいは増税
    • 労働者らの労働市場からの脱落、総労働力供給量の減少

これも順番に見ていく。まず、ここでいう高水準のBIとは、前述した全労連が推計した単身者の最低生計費である月23万円/年276万円と、とりあえず仮定する*25。2021年1月の15歳以上人口は1億1000万人強であり*26、これに上記金額を給付すると考えるとおおよそ300兆円、2020年の名目GDP539兆円*27の60%弱に相当する。半分の月12万円程度でもおおよそ160兆円、名目GDP比で30%弱である。

この高水準のBI給付によるインフレ・バイアスは不可避だろう。政府はBIに手を付けずにこれに対処するということとなると、BI以外の財政支出削減、あるいは増税で対処することとなる。

続けてミッチェルは、高水準のBI給付下においては失業者、被雇用者ともに労働市場からの脱落が発生すると述べる。これを補うと、短期的には失業率の大幅な悪化が見られることになるだろう。ただし、推測される状況はもう少し複雑である。

その後すぐにミッチェルは、労働者を労働力から押し出す形での完全雇用の達成、と続けているのだが、これは幾分か皮肉も込められている表現でもあろうが、やや厄介な現象が起こる可能性を示唆しているとも取れる。つまり、高水準のBI給付下および熾烈な就業競争という状況を前にして、多くの失業者や被雇用者が就業を諦め、給付されるBIのみ、あるいはそこにパートタイム労働での収入を加えた生活に甘んじることで、完全雇用が達成されると言っているわけだ。就業を諦めた者は労働人口としてはカウントされないためだ。もしかすると、これは完全失業率では把握することができないが、「潜在失業」(非労働力人口のうち、適当な仕事がありそうにないとされている者も含めた失業)*28や「不本意正規雇用」の割合*29で把握することが可能かもしれない。が、中長期的にはそれらの指標にすら現れない可能性すらある。

さらにミッチェルは続けて、2つの破壊的なパターンを提示する。

  • 労働供給量の減少による、さらなるインフレ・バイアスの発生
  • あるいは、過小な供給力を満たすための輸入増加と、伴う為替レートと国内価格水準への影響による、さらなるインフレ・バイアスの発生*30

このように、持続的な完全雇用と物価安定の両方を実現する観点から、高水準のBIには非常に問題があると述べている。*31

個人的には、これはさすがに言い過ぎではないかと考えている。つまり、このようなシナリオが現実に発生した場合、どこかで間違いに気付いて、BIの水準低下や廃止へのバックラッシュが発生するだろうと思われるためである。しかし、とにかくBIによって発生したインフレ・バイアスにどう対処するのかが問題であることに変わりはない

積極財政を訴えるBI推進者の隘路

さて、積極財政を訴えるBI推進者についてミッチェルは特に言及していないので、以下で簡潔に補うこととする。繰り返せばBIによって発生したインフレ・バイアスにどのように対処するのか、ということが積極財政を訴えるBI推進者には問われるのである。

一部のBI推進者は雇用創出のための継続的な積極財政を訴えるだろう。また一部のBI推進者は通貨価値下落と労働市場の悪化からさらなる高水準のBIを求めるかもしれない。いずれにせよ、さらなるインフレ・バイアスに悩むこととなる。

BIを維持したまま正当にインフレ・バイアスに対処するためには増税しかない。均衡財政を訴えるBI推進者においては、増税とセットのBIは当たり前で既知のものであるが、しかし、積極財政を訴えるBI推進者から、これについて歯切れのよいシナリオを聞いたことがない。結局、高負担の累進所得税あるいは消費税などで対処せざるを得ないだろう。ただし、ミッチェルの示す悲観的シナリオは、供給力減少に伴うコストプッシュインフレであり、増税での対処効果も限定的となる可能性があるのが厄介だ。

他方では、インフレ・バイアスへの対処を考慮したBIを提案する者もいる。例えば前述したガイ・スタンディングなどは、固定額面と、景気循環=インフレ率に連動する変動額面により構成された2階建てのBI(安定化グラント)を提唱していたりする*32。が、私からすればどうして景気に変動する給付金で生活設計をすることができるだろうか、貨幣価値が目減りしてより多くの給付金が欲しい状況にあって減額されることが決まっているBIなど、当初の目的を失っていて本末転倒ではないか、などと思う次第だ。

BI導入によって産まれ得る社会的不正義

そしてとりわけ重大なのは、BIが新たな社会的不正義を産み出す可能性である。

The so-called ‘freedom’ that basic income recipients enjoy (allegedly) comes at the expense of those who want to work being forced to be front line soldiers in the fight against inflation.

Essentially, basic income advocates have no answer to that question and problem. They are essentially in denial of the realities of capitalism.

[拙訳] BI受給者が享受する(とされる)いわゆる「自由」は、働きたいという意欲を持つ人がインフレとの戦いで前線の兵士になることを余儀なくされるという犠牲の上に成り立っている。

本質的に、BIの支持者はこの疑問と問題に対する答えを持っていない。彼らは本質的に、資本主義の現実を否定しているのだ。Some historical thinking about the Job Guarantee – Bill Mitchell – Modern Monetary Theory

ミッチェルによる厳しい批判であるが、私は正当であると考える。

もし付け加えるなら、BIを受給してそれのみで生活設計を立てる層と、より高い生活水準を目指すなどの目的で就業を目指す層は重なる。低中所得層が、BIで生活を成り立たせながらも、熾烈な就業と失業の繰り返しに苦しんだり、低い待遇に甘んじたり、場合によっては就業を諦めるのである。これは果たして社会正義に適うものなのだろうか。

――私はそれでも(皮肉ではなく)、JGPという政策アイデアと、高所得層や富裕層の存在をないものとして考えるなら、BIの導入は今よりもマシな状況を生み出すように思える。

現状は、効用関数で示されるような個人をモデルとして代替効果と所得効果からその給付水準を低く抑えられた社会保障給付を受ける、失業者も含めた超低所得の貧困層が、割を食っているのである。

対して、BIの給付によって相対貧困率が改善することは事実である。既存の社会保障に手を付けないという前提であれば、BIはこの層に対してはメリットをもたらす。ただし、ここまで見てきたように、インフレとその調整弁としての失業、低待遇就業への転落、あるいは労働市場からの離脱の可能性の高まりというデメリットももたらす。

BIは低中所得層の多くを熾烈な就業競争のスタートラインに立たせるという意味で、そのデメリットを広く分け合いましょうという意味で、平等をもたらすかもしれない。この意味で、私は、「今よりはマシ」と言えるかもしれないと考えるのである。

BIとJGPの真の争点とは

それどころか、このような状況を望ましいと見るBI推進者も少なくないだろう。例えば育児や介護といった社会的価値のある「無給の」仕事に対しての補償としてBIがあるのだ、と。労働供給量の減少というがそれは「有給の」仕事と求職活動だけを見ているだけではないか、「仕事」の概念を狭く捉えているからそう見えるのではないか、と*33*34

ここに至り、ようやくBIとJGPの真の争点が明らかになると言えるかもしれない。

すべてのBI推進者がそうだというわけではない。既存社会保障の置き換えと小さな政府を望むネオリベ志向のBI推進者もいる。

すべてのMMTerないしはJGP推進者がそうだというわけではない。あくまでマクロ経済学的な観点から、物価安定のビルトインスタビライザーとして労働力のプールを提供する機能をこそ重視してJGPを捉えている者もいる。

しかし少なくないBI推進者、およびMMTerないしJGP推進者は、現実の「労働」や「生産性」が私的な利潤追求というごく狭い意味の範囲で用いられ、また、個々人の評価に用いられていることに疑問を抱いているのだ。これに少なくない人が苦しめられている社会に変革をもたらすためには、どのような方策があり得るのかという点で、BI推進者とJGP推進者は哲学的にも実践的にも、意見を異にする。

至極簡単に言えば、BI推進者は「仕事[work]」と「労働[labor]」を分離し*35、「有益[gainful]」だとか「生産的[productive]」だとかといった意味を「労働」から切り離すことで変革を達成しようとする。これに対して、JGP推進者は「仕事」と「労働」は我々の「活動全般[activity]」の要素であり「労働」だけ切り離そうとしてもそううまく切り離せるものではないので、現在、我々が「仕事」や「労働」と呼んでいる「活動」の実践を通して、「有益」だとか「生産的」だとかといった言葉の意味、「仕事」や「労働」といった言葉の意味の変革を達成しようとする

単純な経済/社会保障政策として考えるならば、BIは貧困対策、JGPは雇用対策といった形で異なるレイヤーに位置するものとして考えることができる。しかし、上記の通り、理念的な点での違いが、しばしばいがみ合ったり噛み合わないBI推進派とJGP推進派の対立の源泉なのではないだろうか。

ここまでミッチェルによるBI批判を見てきたわけだが、マクロ経済に対する政策の影響度合いを考えるに、BIには大きな問題があると評価せざるを得ない。この点から考えると、仮にBIを実施するにしても、最低生計費ほどの十分なBIは財政均衡の観点からではなくインフレ抑制の観点から諦めざるを得ず、少額に留めざるを得ない可能性が示唆される。

他方、JGPについてはBIとはまた別の制度設計上の困難を抱えているように見える。とりわけ、ワークフェア等の既存の積極的労働市場政策の失敗に対する反省を生かした設計と運用について、パイロット研究*36やインドの実例に対する評価・研究(MGNREGA*37*38)などが必要と考えられる。

私個人は、BIによって生計を立てるサーファーが実現達成困難、あるいは実現したとしてもそれは著しい社会的不正義を伴っていると考えることから、JGとしてサーファーが活動する世界を夢見て、JGPの可能性を模索したいと考える次第である。

ビル・ミッチェルによるヴァン・パリース理解における誤り

そろそろ文章を終えたいところだが、その前にミッチェルによるヴァン・パリース理解における誤りらしいところが見受けられたので記載しておく。これはここまでに述べたミッチェルによるBI批判の有効性に疑義を生じさせるようなものではない。ただし、それを修正することでBIを再定義・再提示することができるだろう。

ミッチェルによる雇用レント概念の素朴な理解

ミッチェルによる雇用レント理解は以下から伺える。

But the concept of ‘rents’ being available in the first place can be expressed more simply. It just arises from a shortage of jobs. There is nothing ‘natural’ about the fact that some people have jobs and others do not.

[拙訳] しかし、そもそも「(雇用)レント」が手に入るという概念はもっと簡単に表現できる。それはただ、仕事が不足していることから発生する。仕事を持っている人と持っていない人がいるという事実に、「自然」はない。*39

つまり、この雇用レントは非就業者と就業者間のレントとして解されている。

しかし、少なくともヴァン・パリースの述べる雇用レントは非就業者と就業者の間に発生するに留まらない。

ヴァン・パリースは雇用レントをサラリーマンのような被雇用者だけでなく、自営業者や資産運用での不労所得者にも適用可能であると述べている。加えて、所得の異なる就業者間にも発生しているものだとみなせると捉えている。ゆえにヴァン・パリースは、ジョブという椅子の獲得競争によってすべての社会成員に対して生じている雇用レントの是正を、BIの社会正義として提示しているのである。

再定義されるBIと、BIとJGPとのミックス政策の利点

この点の詳細については以前の記事を読んでいただきたいが*40、これは2つの意味で示唆的であることには言及しておきたい。

ひとつは、JGPの導入によって就業者と失業者間の雇用レント差は大きく是正されるため、ヴァン・パリースの雇用レント概念、正義構想にとっても、JGPは望ましいものと見ることができるという点である。

もう一つは、しかしながら就業者間の所得差はJGPでは埋められるものではないので、ここでBIが要請されるという点である。ヴァン・パリースがBIの原資として所得課税を要請するのも、新古典派経済学的な均衡財政の観点からというよりは、この公正さを求める観点に大きく因っている。

ここに至り、ビル・ミッチェルによるBI批判、およびヴァン・パリースによるBI構想を通すことによって、BIはすべての社会成員に不可避で発生している雇用レント差を埋めるないし緩和することを目的とした、恒久的に要請される社会保障政策/再分配政策として再定義され、この点で一定の社会正義を有しているのである

そしてこのように提示されたJGPと再提示されたBIは、いずれについてもヴァン・パリースによって構想されたロールジアンモデルの正義にも適うものなのである。ただし、JGPはBIに優先されるだろう。また、所得課税もセットでBIを検討するならば、それはNITや給付型税額控除に近いものになるかもしれない。

加えて、BIとJGPのミックス政策は次の意味で良い意味での制度的緊張をもたらす可能性があるものと考えられる。

すなわち、

  • 有業者の地位を、失業を繰り返す者や無業者に対して実質的に「選別」し「保護」するようにJGPが作用するのであれば、BIの理念的側面からこれは否定されるだろう。
  • 対して、(不労所得者を含む)無業者の地位を、有業者や失業を繰り返す者に対して実質的に「選別」し「保護」するようにBIが作用するのであれば、JGPの理念的側面からこれは否定されるだろう。

ビル・ミッチェルとヴァン・パリースとの距離

後、もう少しだけ。

Twitterの一部界隈では、ビル・ミッチェルがマルキストであるという側面を訝しむ向きも見られるが、少なくともJGPに見られるマルキストとしてのミッチェルの展望は、ずっとささやかなものである。

JGPを通して社会における生産性といった言葉の持つ意味を変容させよう、それには教育が必要だし、長い時間がかかる、と述べている*41。なんとささやなか革命ではないだろうか。

ここまでヴァン・パリースに言及する部分を中心にミッチェルのBI批判をを見てきた。思うに、70年代に既にJGPの着想を持っていたミッチェルからすれば*42、BIによって資本主義をより強化・推進して共産主義の実現を目指すヴァン・パリースの理路は苦々しいものであったと思われる。もしくは、絶対に口にすることはないだろうが、ソ連ベルリンの壁崩壊前までは、案外と有力な選択肢のひとつなどと思っていたのかもしれない。しかし、具体的な時期はわからないが、少なくともソ連ベルリンの壁崩壊以後に、BIではダメだという確信を得たのではと思われる。

対して、ヴァン・パリースは93-95年あたりだが、マルキシズムを捨ててリバタリアニズムに転向する(と言っても今でも十分にマルキストな気がするが)。ヴァン・パリースがそれまで共産主義の実現のためにBIが必要だと言っていたのを、突如、真の自由を個々人が獲得するためにはBIが必要だと言い始めて、"Real Freedom for All”を書き上げたのが95年である*43

これにミッチェルは、それ見たことかと思ったか、はたまた、大きなショックを受けたのではないか。私はなんとなく後者ではないかとついつい考えてしまう。ヴァン・パリースの著作は95年とそれ以後のものが圧倒的に有名なはずなのに、わざわざそれより前の、しかもマルキストとしての側面が如実にわかるヴァン・パリースの文章を多く引用するのには、含みがあるとしか思えない*44*45*46*47

強烈な違和を感じつつだったのかもしれない――マルキストとしてBIを論じるヴァン・パリースは、ミッチェルにとって80-90年代を通して何かと気になる存在だったのではないかと思われる。それが突如、転向する。それもBIを捨てるのではなくマルキシズムを捨てるわけだから、はらわたが煮えくり返ったのではないかと思われるのだ。

私は、ミッチェルのBI批判の多くは、理論的というよりは、「もううんざりだ!」という感情の吐露に思える。30年以上もそれと付き合ってるのだ、そうもなるだろう。

それでも時折、冷静で説得的な批判を論じていることは既に述べた。そしてたぶん、サーファーの自由を擁護せんとするヴァン・パリースも、以下のJGPの提案には大きく賛同するのではないだろうか。

The Job Guarantee in fact provides a vehicle to establish a new employment paradigm where community development jobs become valued. Over time and within this new Job Guarantee employment paradigm, public debate and education can help broaden the concept of valuable work until activities which we might construe today as being “leisure” would become considered to be “gainful” employment.

So I would allow struggling musicians, artists, surfers, Thespians, etc to be working within the Job Guarantee. In return for the income security, the surfer might be required to conduct water safety awareness for school children; and musicians might be required to rehearse some days a week in school and thus impart knowledge about band dynamics and increase the appreciation of music etc.

Further, relating to my earlier remarks – community activism could become a Job Guarantee job. For example, organising and managing a community garden to provide food for the poor could be a paid job. We would see more of that activity if it was rewarded in this way. Start to get the picture – we can re-define the concept of productive work well beyond the realms of “gainful work” which specifically related to activities that generated private profits for firms. My conception of productivity is social, shared, public … and only limited by one’s imagination.

In this way, the Job Guarantee becomes an evolutionary force – providing income security to those who want it but also the platform for wider definitions of what we mean by work!

[拙訳] 実際、雇用保証は、コミュニティ開発に関する仕事が評価されるようになるだろう、新しい雇用パラダイムを確立するための手段を提供している。時間が経つにつれて、そしてこの新しい雇用保証パラダイムの中で、私たちが今日「余暇」と解釈しているような活動が「有益な」雇用であるとみなされるようになるまで――価値ある仕事という概念を広めることに、公共における議論と教育を役立てることができる。

だから私は、苦労している音楽家、芸術家、サーファー、役者などが雇用保証の範囲内で働くことを認めるだろう。もしかしたら収入保障の見返りとして、サーファーは学校の子供たちに水の安全啓発を行なったりすることが求められるかもしれない。音楽家は、週に何日かは学校でリハーサルをしたり、バンドのダイナミクスに関する知識を教えたり、音楽の鑑賞力を高めたりすることが求められるかもしれない。

さらに、私の以前の発言に関連して――コミュニティの活動は雇用保証の仕事になる可能性がある。例えば、貧しい人々に食料を提供するためにコミュニティガーデンを組織し管理することは、有給の仕事になる可能性がある。それがこの方法で報われた場合、我々はさらに多くのコミュニティの活動を見かける機会が増えていくこととなるだろう。理解し始めよう――我々は、「有益な仕事」という言葉が意味する範囲――企業のための私的な利益を産み出す活動に強く結びついているその言葉の意味する範囲――を超えて、生産的な仕事の概念を再定義することができる。私にとっての生産性という概念は、社会的で、共同的で、公共的な...そんなものなのだけれども、人の想像力によって、それは今、制限されている。

このようにして、雇用保証は進化の力となる――それを望む人々に所得保障を提供するだけでなく、私たちが意味する「仕事」の定義をより広く定義するためのプラットフォームとなるのだ。*48

*1:Search Results for “Parijs” – Bill Mitchell – Modern Monetary Theory

*2:Some historical thinking about the Job Guarantee – Bill Mitchell – Modern Monetary Theory

*3:Income or employment guarantees? – Bill Mitchell – Modern Monetary Theory

*4:フィリップ・ヴァン・パリース 著|後藤玲子、齊藤拓 訳『ベーシック・インカムの哲学―すべての人にリアルな自由を』(1995-2010, 第4章 資産としてのジョブ, pp.174)

*5:Some historical thinking about the Job Guarantee – Bill Mitchell – Modern Monetary Theory

*6:歴史的経緯については|Some historical thinking about the Job Guarantee – Bill Mitchell – Modern Monetary Theory

*7:あるいは新古典派経済学者からJGPに関する批判として、ガイ・スタンディングは堂々とNAIRU概念を挙げている。話が全く嚙み合わない|ガイ・スタンディング 著|池村千秋 訳『ベーシックインカムへの道』(2017-2018, pp.233-236)

*8:Income or employment guarantees? – Bill Mitchell – Modern Monetary Theory

*9:本件については過去記事を参照のこと|BI(ベーシックインカム)の政治哲学的根拠、およびJGPの可能性 - rory / 仏教ロック!のプラモデル日記

*10:Employment guarantees are better than income guarantees – Bill Mitchell – Modern Monetary Theory

*11:Income or employment guarantees? – Bill Mitchell – Modern Monetary Theory

*12:フィリップ・ヴァン・パリース 著|後藤玲子、齊藤拓 訳『ベーシック・インカムの哲学―すべての人にリアルな自由を』(1995-2010, 訳者解説2, pp.455-469)|または|アマルティア・セン後藤玲子 著『福祉と正義』(2008、終章、pp.263-296)

*13:最低生計費は月23万円強に/全労連が発表/地域間で差は見られず - 連合通信社

*14:Income or employment guarantees? – Bill Mitchell – Modern Monetary Theory

*15:ガイ・スタンディング 著|池村千秋 訳『ベーシックインカムへの道』(2017-2018, pp.192-193)

*16:1er sondage représentatif : la Suisse continuera à travailler ! - Initiative pour un Revenu de base Inconditionnel

*17:Tabellen_Befragung_BGE_GesamtCH.pdf

*18:Basic Income Grant Pilot Project Assessment Report, April 2009, Namibia NGO Forum

*19:S. Davala, et al.(2008), Basic Income: A Transformative Policy for India

*20:米国初のベーシックインカム実験に関する結果報告書が発表、その成果は...... | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

*21:Income or employment guarantees? – Bill Mitchell – Modern Monetary Theory

*22:Real Freedom versus Reciprocity: Competing Views on the Justice of Unconditional Basic Income - Robert J. Van Der Veen, 1998

*23:Income or employment guarantees? – Bill Mitchell – Modern Monetary Theory

*24:Options for Europe – Part 83 – Bill Mitchell – Modern Monetary Theory

*25:最低生計費は月23万円強に/全労連が発表/地域間で差は見られず - 連合通信社

*26:統計局ホームページ/労働力調査(基本集計) 2021年(令和3年)1月分結果

*27:統計表一覧(2020年10-12月期 2次速報値) - 内閣府

*28:統計局ホームページ/労働力調査(基本集計) 2021年(令和3年)1月分結果

*29:不本意非正規(2020年4月版)|定点観測 日本の働き方|リクルートワークス研究所

*30:Options for Europe – Part 83 – Bill Mitchell – Modern Monetary Theory

*31:詳細な検討は右記参照とのことだが未読|Wages and Wage Determination in 2004 - Martin J. Watts, William Mitchell, 2005

*32:ガイ・スタンディング 著|池村千秋 訳『ベーシックインカムへの道』(2017-2018, pp.35, 120-122)

*33:ガイ・スタンディング 著|池村千秋 訳『ベーシックインカムへの道』(2017-2018, pp.185-188)

*34:Guy Standing (2014), A Precariat Charter: From Denizens to Citizens

*35:アレントによる分類を想起されたい|ハンナ・アレント 著|志水速雄 訳『人間の条件』(1958-1994)

*36:【オーストリアXJGP】世界初の無条件での就業保証プログラムを導入(パイロット研究)|ゲーテちゃん|note

*37:Mahatma Gandhi National Rural Employment Gurantee Act

*38:ポスト・コロナにおけるインドの失業と就業保証(JG) (2020年11月17日、ミント[インドビジネス誌])|ゲーテちゃん|note

*39:Is there a case for a basic income guarantee – Part 2 – Bill Mitchell – Modern Monetary Theory

*40:本件については過去記事を参照のこと|BI(ベーシックインカム)の政治哲学的根拠、およびJGPの可能性 - rory / 仏教ロック!のプラモデル日記

*41:Would the Job Guarantee be coercive? – Bill Mitchell – Modern Monetary Theory

*42:Some historical thinking about the Job Guarantee – Bill Mitchell – Modern Monetary Theory

*43:フィリップ・ヴァン・パリース 著|後藤玲子、齊藤拓 訳『ベーシック・インカムの哲学―すべての人にリアルな自由を』(1995-2010)

*44:Would the Job Guarantee be coercive? – Bill Mitchell – Modern Monetary Theory

*45:Employment guarantees are better than income guarantees – Bill Mitchell – Modern Monetary Theory

*46:Is there a case for a basic income guarantee – Part 2 – Bill Mitchell – Modern Monetary Theory

*47:Is there a case for a basic income guarantee – Part 5 – Bill Mitchell – Modern Monetary Theory

*48:Would the Job Guarantee be coercive? – Bill Mitchell – Modern Monetary Theory