roryの日記

プラモデル作成の過程を載せるつもりで始めたのですが、気ままに書きます

品性下劣な学生サークルノリを続ける保守論壇誌

前々回より、保守論壇誌編集長ならびに論壇誌の品性下劣ぶりについて書いた。

表現者クライテリオン2026年7月号が発売となり、『雑誌運動の継承と刷新』とわざわざ紙面を4ページも使って、次号より編集体制を一新するとの発表がなされたが、私はまたもやその品性下劣ぶりについて書かなければならないと、昏い気持ちになっている。

まず、この編集体制を一新することは、現編集委員を代表して柴山圭太氏の4ページにわたる報告であったのだが、『昨今の件』とは直接の関係がないなどと、述べられている点に深く絶望した。

『昨今の件』と一言で片づけている話は、皆重々知っていようが、以下の通りである。

保守論壇誌の編集長、日本の高等教育の中心となる旧帝国大学教授の肩書を持つ人物が、TVや新聞などのオールドメディアでは箸にも棒にもかからない、つまり信用たる人物ではないと社会的評を受けた人物らを、フットワークが軽めだったり脇が甘かったりする政治家や専門家らも併せて一堂に集め、政治という現実の利害調整の領域を単なる消費コンテンツとして採り上げ、意見の異なる人間たちの対立を煽るだけの3流インターネット番組に出演するまではまだいいものの、その主催者たる、芸人如きの真似事をする人物と懇意にし、金融庁が速やかに調査に入り注意喚起を促すような、資金決済法違反や詐欺罪に相当する可能性が十分にあるポンジスキームの広告塔の一人として振舞ったことである。

さらには、本件が報道されるなどして市井で問題視されるようになったのち、その保守論壇誌の編集長は一切の沈黙を続け、表現者クライテリオン2026年5月号では一連の事実関係の確認と整理を進めているという簡単な報告をしておきながら、未だなんの問題解決にも至っていないにも拘らず、5月末にはTOKYO MXの東京ホンマもん教室でメディア露出を本格的に再開するに至ったのが現状である。ついでに述べれば、そのゲストには、最近では「ナフサ不足は発生していない」「ネットで買えばいい」などと息を吐くように平然とデマと嘘をつく高橋洋一氏が呼ばれているのだから、何の反省もない。

youtu.be

他方、その保守論壇誌は例えば、およそ4/11〜13にかけてのことと思われる――雑誌ではなくyoutubeの「表現者クライテリオン」のXアカウントにおいて、「4月15日大型発表!」 なるX上の投稿にて、本年度の表現者塾の講師陣の体制変更の通知、また参加を促す特設サイトならびにyoutube動画の紹介をしていたのだが、そこには、『世間を騒がせたあの騒動を経て』などと極めて不謹慎な言葉も載っており、案の定X上で批判が殺到、当該X投稿とyoutube動画は削除するに至った、などという恥ずべき事態を招いている。

編集体制の一新が以前より検討されていただろうことはそうなのかもしれないが、そのような内輪の話をわざわざ巻頭部に持ってくる必要があったのは、こうした『昨今の件』が影響しているのは明白である。

こうは述べてみたが、おそらく柴山氏の意図は異なると思われる。柴山氏の文章は普段あまり見られないような投げやりさから怒りがひしひしと感じられるもので、『昨今の件』などという他人事のような書きぶりは、およそ藤井氏に対する絶縁宣言のように見えた。柴山氏は編集後記でも、『表現者』のころから編集委員を16年務めたことに言及しつつ『そろそろ離れてよい頃合いだ』などと、これまた他人事のように書いている。

しかしながら、そんなものは外形的にはどうでもいい話である。あくまで個人の感覚としては、編集委員には個としての参加していたのだろう。しかしそれでも、例えば、おそらく藤井氏が連れてきたのだろう胡散臭い自称ジャーナリスト――現在、名誉棄損容疑で逮捕、書類送検、拘留中の立花孝志の当該名誉棄損にあたる情報をインターネット上で開陳・拡散したことについて今のところは逃げおおせており、ここ1、2週間は反省の色全くなしで、『昨今の件』に関連して、高市早苗とその事務所関係者は騙された、文春と共同通信はデマ報道をしているなどと、自身こそがデマで騒ぎ立てている、須田慎一郎という名の自称ジャーナリスト――の寄稿を許すなどしてきたことに対して、藤井氏以外の編集委員の、あるいは会社の責任は、なんらないのであろうか。

結論を急げば、そうした責任は誰かが担わなければならず、そのための自浄作用として編集体制の一新こそが、なされなければならなかったはずである。しかしながら、現編集委員を代表しての柴山氏の態度は、現在は落選中のリベラル系前衆議院議員さながらの「左様なら」であった。そんな態度であれば、辞めていただいてよかったし、もっと早く辞めてもらうべきだった。他方で、30代が中心と言われる規準社の面々もまた、『世間を騒がせたあの騒動を経て』などと平気で言ってのけられるのだから、なんら期待していない。

実名を公開していない私のような者に言われたくもないだろうが、皆が、名前の力を軽んじているのだろう。編集委員として名を連ねること。雑誌名に「クライテリオン」。社名に「規準」。

誰も、何の、責任も、取らない、という品性下劣な学生サークルノリを続ける、名前だけやたらと大層な保守論壇誌においては、皇室典範改正も、憲法改正も、核保有の議論も必要ない。スーパーマーケットに並ぶ商品のラベルは食品表示法や景品表示法などで厳格なルールが定められているのだから、保守論壇誌の発行・運営に関しても特別な法令措置実現に向けて、真剣に議論を開始するべきである。

保守論壇誌の品性下劣ぶり、と言わざるを得なくなってしまった

前回は、『保守論壇誌編集長の品性下劣ぶり』と題した投稿を行った。

保守論壇誌編集長に見る日本の品性下劣ぶり - roryの日記

が、表現者クライテリオン最新号の2026年5月号、あるいは公式webサイトやSNSアカウントの動きを見るに、残念ながら、論壇誌そのものを批判せざるを得ない状況にあるものと思われた。

事件以降、藤井氏のXは3/3以降沈黙(厳密には、それ以外の活動については確認していない)。表現者クライテリオン公式webサイト上では顧問富岡氏より3/18付にて『編集体制についてなんらかの方針を公表したい』旨の発表があったため、一読者でもある私は、最新号の発売を待つことにしたのだった。

【『表現者クライテリオン』顧問より】読者の皆様へのお詫びと今後の活動について | 表現者クライテリオン

なお、私が前回記事で、「空虚」という言葉を正当に用いているものとして挙げた富岡氏の良質な連載小論(前月号分)は、公式にて全文公開されている。

【全文公開】富岡 幸一郎「世界潮流の中の日本」 | 表現者クライテリオン

しかし、主に最新号発売直前からのその行動は甚だ疑問が残るものであった。

まず、およそ4/11〜13にかけてのことと思われる――雑誌ではなくyoutubeの「表現者クライテリオン」のXアカウントにおいて、「4月15日大型発表!」 なるX上の投稿、特設サイトならびにyoutube動画の公開があった。内容としては、本年度の表現者塾の講師陣の体制変更の通知、また参加を促す広告であった。

そこには、『世間を騒がせたあの騒動を経て』などと極めて不謹慎な言葉も載っており、案の定X上で批判が殺到、当該X投稿とyoutube動画は削除されている。

最新号では、藤井氏が雑誌編集体制からは一旦退いて共同編集体制となること、藤井氏からの陳謝と報告が載った。が、その内容と報告の方法は以下の点で疑問が残る。

  1. 一旦編集体制から退く理由は、一連の事実関係の確認と整理を進めているため、とのこと。しかし、それは3/3付の藤井氏X投稿内容からなんら進展がない。いや、溝口氏、松井氏、あるいは高市早苗第一公設秘書らなどの関係者からや、週刊誌報道では新たな情報が出てきてはいるが、藤井氏個人としては本事案への関与はその程度のもので、これ以上何も述べられることがないのであろうと推測する。斯様に、資金決済法違反の可能性まであり金融庁が調査にも入った性格の点については何も知らなかったとしているにも拘わらず、一体何を精査する必要があるのか、それどころか、何を精査することが可能なのだろうか。要は、「皆さん、ほとぼりが冷めるのを待ちますよ」と言っているに過ぎない。

  2. 当然、このようなあからさまな文章を載せることを許容した現編集体制、啓文社あるいは運営会社の規準社については、倫理的責任を藤井氏と同様に問われることにならざるを得ない。

  3. 市井も巻き込んだ事案のため、そちらへの対応が優先されるべきである。であれば、事案にかかる藤井氏個人の状況には何ら変化がなかったとして、何故せめて、クライテリオン最新号発売と同時に、宛名を読者から一般に向けたものに変えた同様の文章が公開されないのであろうか。こうして公開しないことこそ、共同編集体制への移行と藤井氏の謝罪の報告の意味とは、「ほとぼりが冷めるのを待つ」という内輪の読者向けメッセージに過ぎないことを示してしまっている。

公式サイトのコメント欄に概ね3月初旬から寄せられ始め、今現在も止まない雑多な批判は、乱暴なものも含めて自業自得だと言わざるを得ない。当初、雑誌関係者からすれば寝耳に水の事態ではあったろうが、まともな対外的対応が組織的にも見られないのであるから、自業自得は当然である。

私個人は、雑誌が当面は継続しそうなことに安堵も覚えている。休刊、廃刊も十分に有り得たものと認識しているためだ。

しかし同時に、一読者として品性を求めている。品性とは何を為したかではなく、何を為さなかったかでも露わになる――その行為の源泉となる規準が不在であることを指し示すためだ。

国会答弁、記者のぶら下がり取材、公式記者会見もまともにやらず、家事で忙しいなどと述べながら首相官邸の中からXに投稿する高市早苗。テレビで氏が映った際には、信者なのにチャンネルを変える者までいるとの話だが、それは言葉と行為の軽さから来る品性下劣さが、画面越しですらはしたなく漏れ出ているからである。65歳女性が国際会議などの外交の場で時代錯誤の娼婦のような振る舞いを行うのだから、目を背けたくなるのも道理である。

いつまで経っても行われない、適切と言える行動。その異常事態を平気で適切(・適法・適正)と壊れたラジオのように繰り返し言ってのける別の人物が、斎藤元彦現兵庫県知事である。毎週の記者会見で繰り返される「真摯に受け止めます」発言は、醜悪を通り越して邪悪ですらあり、高市のそれを超える品性下劣ぶりを見せつけてくれる。

もういい。私が間違っていた。

都道府県行政のトップが、まして国のトップが、べっとりと指紋のついたクリスタルグラス、泡ばかりのシャンパン、冷め切ったコンソメに浮いた脂さながらに品性下劣であるのに、有名国立大教授やただの論壇誌に品性を求めるなどどうして、極めて馬鹿げていたのだ。語られるべき言葉。なされるべき行為。それらを「空虚」に求めてみたところで、虚しい。

保守論壇誌編集長に見る日本の品性下劣ぶり

表現者クライテリオンの中でちょっと私が好きなのは、毎号2つか3つ、紙面の端に添えられた、しかし力強く歯切れの良い文章で読むと心地よい、あるいはハッとさせられる「保守放談」である。

2019年9月号169ページには、保守放談のひとつとして、『「吉本興業芸人・反社騒動」に見る日本の品性下劣ぶり』と題した短文が載っている。個人的に、この号はMMTを知るきっかけで、初めて手に取り購入したクライテリオンであったので他の号よりも記憶に残っているのだ。

もう6年以上前の文章ではあるが、クライテリオン読者こそ、是非今読むべき文章であると強く思うので、ここに引用したい。

吉本興業の芸人である宮迫博之氏らが、いわゆる「反社会勢力」(反社)を相手に行った営業に端を発する一連の騒動は、今の日本社会の品性の下劣ぶりを的確に描写する秀逸な事案であった。第一に芸人如きはそもそも「反社会的」な存在である以上、いわゆる「反社」との繋がりが大問題となるということ自体が異様だし、第二に、国政選挙の投票日前後に、本件にTV報道時間を割くだけでも異様であるにも関わらず、例えば単なる一芸人にすぎぬ松本人志が超重要人物扱いされ、彼のSNS上のつぶやきが逐一報道される程に本件がメディア空間を占拠していたことも異常だった。そして何より第三に、こうした異常をメディア上で誰も非難しないという事もまた異様だった。そしてこの騒動の陰で、わが国国民の自滅を導く消費増税と大量の移民政策促進を確定する国政選挙結果がたたき出されたわけだが――まさに日本の頽落、ここに極まれり、と言う他ない。

もう当時のことはすっかり忘れてしまった人も多いのではないだろうか。まだあの頃は松本人志が時事バラエティ番組にも出演し、その一挙手一投足が注目されていたことも、今となっては懐かしい。そんな松本人志も干されたのは、ポリコレがどうだとかといった意見はあろうけれども、悪いことでもなかった。ただし、そもそも「反社会的」な存在である芸人如きを大量に抱える吉本興業は、TVやインターネット配信サービスメディアにて力を持ち続け、公共ビジネスにおいても重宝され続けるという構図には何ら変わりがないのだから、日本はその頽落の只中にある、と言って差し支えないだろう。

私がこの気持ちを一層強くするのは、たかだか6年ほど前に上のささやかな短文が紙面を飾った保守論壇誌の編集長、日本の高等教育の中心となる旧帝国大学教授の肩書を持つ人物が、TVや新聞などのオールドメディアでは箸にも棒にもかからない、つまり信用たる人物ではないと社会的評を受けた人物らを、フットワークが軽めだったり脇が甘かったりする政治家や専門家らも併せて一堂に集め、政治という現実の利害調整の領域を単なる消費コンテンツとして採り上げ、意見の異なる人間たちの対立を煽るだけの、かつての松本人志の時事バラエティ番組が随分と上品に思えるようなインターネット番組に出演するまではまだいいものの、その主催者たる、芸人如きの真似事をする人物と懇意にし、金融庁が速やかに調査に入り注意喚起を促すような、資金決済法違反や詐欺罪に相当する可能性が十分にあるポンジスキームの広告塔の一人として振舞ったからに他ならない。

その保守論壇誌の読者はもちろん知っていると思うが、その後の当該論壇誌においては、自民党歴代首相、あるいは、現首相である高市早苗以外の自民党総裁選候補者を批判する特集や論考が掲載され続けてきた。無論、それらの批判にはまっとうなものも多く含まれていたことは否定しないが、何故か、編集長をはじめとする中核を担う執筆者らの意見は号を重ねるたびにどんどんと粗雑になっていき、単なる人格批判、誹謗中傷としか言えない品性下劣な文章が並び続けた。当該論壇誌のyoutubeチャンネルでは、その品性下劣ぶりをより先鋭化した動画が大量に投稿されており、それが功を奏したのか、おそらく論壇誌の毎号の発行部数の数倍、下手をすれば十数倍にあたるだろう、20万人超のチャンネル登録者数を誇っている。

寄稿者についても、例えば、多少の大手メディア露出はあるが、ソースが不確かな情報を自身のyoutubeチャンネルで開陳しては再生数をせっせと稼ぐ――最近では、名誉棄損容疑で逮捕、書類送検、拘留中の立花孝志の当該名誉棄損にあたる情報を開陳・拡散したことについて今のところは逃げおおせているジャーナリストなど、かつての西部邁であれば絶対に掲載を許さなかったであろう不審な人物の割合は徐々に増えていっている。

当該論壇誌のyoutube動画では、保守の思想的根拠を知るためには是非購読を、との紹介が添えられるが、そもそも、表紙を飾る特集や論考のタイトルだけで内容が類推できてしまうような雑誌を、誰が読むのか。――つまらない。いっそのこと、下衆な週刊誌を見習えばよいのにとさえ思う。

地味な連載には、良心的な執筆者がまだ残っている。最新の2026年3月号で富岡幸一郎が述べるように、今日の反グローバリズムの潮流は、これまでの自由主義の「空虚」の裏返しにすぎない。これは高市内閣の現在にも当てはまる。『安倍晋三・空虚な器』と冠された特集がなされたのは2019年11月号で、それ以後「空虚」という言葉は当該論壇誌で極めて雑に使われてきた。

私は、この擦り減ってしまった文字通りに中身のない言葉を、富岡と同じく正当に使い続けるために、「空虚とは、常に品性下劣を伴う」と付け加えたい。

そうでなくてもそろそろ、という時期であったが、もうこうなっては、自浄作用を働かせなければならないだろう。

さもなければ、保守論壇誌編集長、有名国立大教授などそもそも「反社会的」な存在である、と結論付けなければならない。

徒然人間魚雷 - 安吾の著作権が切れたらしい

digital-humanities.space

坂口安吾著作権が昨年末で切れたらしく、早速その文章が公開されていたのを知った。

戦争末期から敗戦直後の東京で強姦・殺害を繰り返した小平義雄について、明日どころか一時間後にすら自分が生きているのか定かではない、空襲真っ只中の戦時の東京においてそのような犯罪を行うことができたことについて、『自分の罪を隠すために人を殺すというような平常の心』が備わっていたと評する。

また、戦争中にあっては原子爆弾くらい素敵な美はないだろう、当時は自分も敵の飛行機が一番美しく見えた、とさらりと言ってのける。

www.aozora.gr.jp

また別の、特攻隊に捧ぐ文章では、戦争の中に咲いた真実の花として、特攻隊員らの「愛国殉国の情熱」を称賛する。

恐らく、小説や映画の中では行われていた、もうすぐ訪れるだろうドローンだけで行われる戦争に美は有りはしないだろう。今はかろうじてありそうな気がする。例えば、ドローンによる24時間監視警戒網を搔い潜るため、明かりもつけずに深夜の荒野でオートバイをかっ飛ばす、もし、タイヤがちょっとした石にぶつかって転倒でもしようものなら即座に犬自死確定だろう、最小編成で構成されたウクライナ陸軍部隊には、美は存在しうるかもしれない。けれども、赤ん坊の泣き声をスピーカーで流し、心配して家屋から出てきたパレスチナ住民をサブマシンガンで皆殺しにするイスラエル製ドローンに美が伴うことは決してない。罠かもしれないとわかっていても家屋から出て様子を見ることを決めた住民こそには、祈りを捧げなければならないが。

しかしまた、恐らく南アフリカ共和国にICJに提訴されて暫定措置命令が出されて以後に思えるが、情報統制がなされたのか急速に減っていった、自らの狂気の行為を平気でSNSに投稿するイスラエル兵らは、案外まともな人間なのかもしれない、という気持ちにもなった。自ら射殺したパレスチナ人の死体に小便をかけて喜んでいる彼らを見た当初は、この犬畜生どもと語る言葉は持ちえない、と思ったものだが、その後、原因は様々ではあろうが少なくない数の兵士が、とても人間らしくPTSDにもなっている。もしかしたらあの兵士の中には、日韓ワールドカップ以後にNPO団体が行った、日本で開催されたかつて国際交流イベントで、パレスチナのこどもらと一緒にサッカーボールを蹴った少年も混じっているかもしれない。

パレスチナはもちろんそうだが、あの国もまた平時が例外状態なのだから、狂い続けるしか生きる術がない。休日の昼、高台で空爆投下を眺めながらバーベキューを楽しむイスラエルに住む家族達。私がその家族の子どもであったのなら、どうして空爆によって建物が爆破する光景を喜ばずにいられるだろうか。また別の休日には、パレスチナ人が大切に育てたオリーブのための井戸にコンクリートを流し込むDIYに勤しんだ父親に対して、「おかえり、今日も頑張ったね」と声をかけずにはいられないだろう。顧客から無理難題を押し付けられ、家の夕食で月に数回は「もう契約を切りたい」「辞めたい」と呟きビールを喉に流し込んでいた税理士事務所勤めの親父よりも、素直に尊敬できそうにも思える。そこには小さな家庭の小さな平和がある。

それに比べて、既に圧倒的な国力差のある中国から、レアアースなども含む対日軍民両用品の輸出規制を喰らい、ほぼ毎日一面を提灯記事が飾る日経新聞ですらこれについては一面で報道したにも拘らず、「日本も抑止力としての核武装を」「ドローン部隊を早急に編成すべき」などと未だにのたまっている推定700万人の自称日本人の愚かさといったら。今すぐに鳥肌実を連れてきて、「今こそ、国のお荷物になっている2024年で80万人と言われるニートどもを人間魚雷回天に括りつけ、中国に向けて全弾発射だ!東条!」と言わせてみたところで、コイツらは外形的には全く区別がつかない様子で、私と一緒に嗤ってくれそうでもある。

それも極めて凡庸な愚かさであるが、脳みそ的にも立場的にも分不相応な話に夢中になっているコイツらには、元は童貞の中年男性が無双する異世界転生ライトノベルとそのアニメ化作品を2日に30作ずつ、個人としては福利厚生のために、国としては安全保障のために、提供しなければならない。その愚かさと政治を語ることの困難さを指摘しながらも、自ら愚かさに埋没して事実追認に終始し、知識人としての仕事を放棄しているどこぞのアル中言論人にも同様に提供して、アニメ評論の世界に隔離しなければならない。

すぐに次のように反論が飛んでくる。「愚かであることを行使できるのはどうしてなのか、わかっているのか、我々はこの平和を維持するための重要な指摘をしているのだ」などと。しかし、小さな家庭の小さな平和のためにこそは、今すぐタイミーに登録し、無資格かつ単独で認知症老人のトイレ補助をしなければならない福祉施設は避けつつ、いくらでも代わりはいるし多少の失敗はなんの問題にもならない倉庫整理などの軽作業に従事して、1円でも多く稼がなければならないということがわからない輩が、どうしてまともに政治を語ることができるというのか。

そんなこと以前に、お前が大事だと思っている話は、極めてつまらない。可憐な花を咲かせられなくても、せめては愛でよう。

徒然MMT[7] - インドのJGP、MGNREGA存続の危機

承前

ゲーテちゃん経由で知ったが、いわばインドのJGPMGNREGAが存続の危機にあるようで、今月に入ってからのIndian Expressの記事を中心に情報を漁ってみた。Xでも書いたのだが、複数投稿に分かれていて見返しにくいので、こちらにもまとめてみる。

MGNREGA制度についても簡単には触れるが、上記の通りニュース記事を中心に漁るので、断片的な記述、また幾分か推測も含むことはご容赦いただきたい。

MGNREGAの概要

日本語で読めるMGNREGAについての情報については、根本武功・三輪博樹編『モディ政権とこれからのインド』調査研究報告書(アジア経済研究所、2019)の、港一樹『第4章 全国農村雇用保証法(NREGA)の政治経済学』(pp.81-93)あたりが良さそうだ。

www.ide.go.jp

2005年よりマハトマ・ガンジーの名を冠してスタートした(MG)NREGAは、農村地域に公的雇用の機会を提供することによって貧困世帯の生活保障を高めることを主な目的としており、その最大の特徴のひとつは「労働する権利」を法的に保証する点にある。すべての希望者が公的雇用の機会を得られるようにするという法的義務を政府機関の側が負っているという点で、単純な雇用プログラムとは異なり、その違いに関する具体的な制度の特徴としては、例えば、希望者が申請から15日以内に雇用機会を得られなかった場合には州政府から失業手当が支払われる*1、その内容の変更には連邦議会での法律改正手続きが必要となるため、政府が一方的に事業を縮小したり中止したりすることができない、といった点で挙げられる。2023年には中国を抜いて世界一の人口大国となったインドにおいて、普遍主義の原則に基づき収入による対象限定もせず行われている本制度が、「世界最大の公的雇用プログラム」と称されているのも納得である。毎年5000万世帯が利用し、特にCOVID-19流行下の2020-2021年は7500万世帯が本制度を利用した記録が残っている*2

雇用保証と併せてのMGNREGAの目的には、農村部のインフラ整備、女性のエンパワーメント、パンチャーヤト制度の強化が含まれているが、このうちパンチャーヤト制度について少しだけ触れる。これまた日本語で読めるパンチャーヤト制度についての文章は、2014年と少し古いが、森日出樹『地方住民の政治参加を促すパンチャーヤト制度――インドの「進んだ」地方自治・行政組織 - SYNODOSが良さそうだ。

synodos.jp

パンチャーヤト制度は、一言で言えば、インドにおける地方自治・行政機構であり、州より下位の県レベル(ジェラ・ポリショッド)、中間(郡、ブロック)レベル(パンチャーヤト・ショミティ)、村レベル(グラム・パンチャーヤト)の3層においての、直接普通選挙で選出される議員で構成される地方議会から成り、農村開発事業の計画策定・実施に責任を負っている。独立後のパンチャーヤトは週によって形態や機能はまちまちだったが、93年の憲法改正を機に全国一律の制度整備が行われたようだ。

1.) 「指定カースト(Scheduled Castes=SC)」、「指定部族(Scheduled Tribes=ST)」に対する人口比に応じた留保議席の導入、2.) 3分の1の議席を女性に留保、3.) 有権者全員が参加できる村民会議(グラム・サバー)の設置、4.) 開発事業の計画・実施の権限をパンチャーヤトに移譲といった点を、本制度の大きな特徴として森も挙げている。うち、JGPの観点から後者2つが特に興味深いように思える。森は西ベンガル州の事例を挙げているが、有権者全員が参加できる村民会議はグラム・パンチャーヤトレベルで年1回行われるグラム・ショバー、グラム・パンチャーヤトの選挙区レベルで年2回行われるグラム・ションショッドがあり、MGNREGAも含むであろう、政府の貧困削減のための開発プログラムの実施(場所の選定)や受益者選定に関する議論が行われているようだ。森は制度運用上の問題点も多く指摘する一方で、草の根レベル民主主義や幅広い住民の(直接的な)政治参加の参考にすべきものがあると述べる。個人的意見に過ぎないが、これに比べると日本特有の町内会の仕組みは、中途半端で遅れたものに見えてしまう*3

このパンチャーヤト制度のさらに詳しい内容について日本語で読める文献は複数あるが、最近のものでは、浅野宣之『インド・パンチャーヤトにかかわる法制度の近時の展開』(開発法学の再検討研究班『開発法学の再検討II』関西大学法学研究所研究叢書第69冊、2024)などがあるようだ。

MGNREGA存続の危機

indianexpress.com

さて、そのMGNREGA存続の危機とは、15日にインド中央政府によってMGNREGAを新たな制度に置き換える法案が提出され、17日にはローク・サバー(インド下院)にて審議されたことによる。

港が指摘するように、MGNREGAは、本制度が大規模な財政支出を伴う貧困対策であるという点に加えて、インド国民会議派を中心とする統一進歩連合政権(UPA)の基幹事業の一つであったなどといった理由で、常に政治的な論争が付き纏ってきたようだ*4。補足すると、インド国民会議は一般に中道~中道左派とされ、2004年のローク・サバー(連邦議会下院)総選挙にて第一党となりUPAを樹立。他方、現在の政権は、ヒンドゥー至上主義系で一般に中道~中道右派とされるナレンドラ・モディが率いるインド人民党(BJP)を中心とした連立政権(国民民主同盟:NDA)であり、2014年から続く3期目を務めている状況だ。敢えて日本で例えるなら、一時期政権を担った旧民主党が掲げた目玉政策、といったところだろう。

現行制度が大規模な財政支出を伴い、慢性的な資金不足状態となっていた点を簡単に見てみると、例えば、予算配分は2005-2006年の制度開始時の540億ルピーから2025-2026年には8600億ルピーまで増加。特にCOVID-19の流行期には顕著な増加がみられたようだ*5。これは2025-2026年のインドの国家予算が51兆ルピーなので総予算の約1.7%を占める一方、年度末まで4か月を残す11月末の段階で本予算の80%が支出済みの状況*6、また過去は中央政府からの支払い遅延が発生したこともあったようだ。過去分を調査していないので推測となるが、恐らく過去も同様の状況で、毎年追加予算計上するといった状況かと思われる。

しかし、本法案の内容は実質的な縮小・廃止を狙ったようなものとなっていたため、議会野党だけでなく、開発経済学者や活動家などからも強い反発があり、承前でも挙げたように、スティグリッツ、ピケティ、マッツッカート、またMMT学派の学者らが連名にて、インド政府宛公開書簡を通じて深刻な懸念を表明する事態にもなっている。

www.levyinstitute.org

保証賃金雇用日数の増加

本法案の正式名称は「ビクシット・バーラト・ロズガーおよびアジェーヴィカ・ミッション保証法案」(通称:VB-G RAM G法案)で、これは2022年に実施され2024年に報告書が提出された農村開発省が設置した委員会調査を参照しており、中央政府側からは制度拡大と継続を狙ったものだとされている。本法案ではこの労働上限を125日に引き上げる内容となっている。

細かいが、現行法でも年間の就労日数は「100日以上」とされており、中央政府も100日に加えて50日の賃金就労を認めている。しかし、州からの特別な要請がない限りは制度管理用のシステム上では1世帯あたり年間100日を超える就労日数のデータ入力ができないようになっており、100日が事実上の上限となっているようだ。また、過去に複数の州でMGNREGAの100日労働上限の引き上げが要求された例もあったようで、これに応える形となっている。

しかし、2024-2025年度の世帯あたりの平均雇用日数は約50日に過ぎず、100日を達成した世帯数は2024-2025年度で407万世帯、まだ確定していないが2025-2026年度で67万世帯強に過ぎないようである*7。このように平均雇用日数が事実上の半分に過ぎない要因は明瞭ではないが、COVID-19以降のここ数年は利用者数も減少しており、このタイミングでの雇用日数増加はちぐはぐさが否めない。

州政府資金負担の大幅な増加

最大の問題が資金負担の分担の転換で、現行制度は中央政府が人件費の100%および資材費の75%を負担することとなっているが、新制度では一部の州を除いて州政府が40%を負担することを提案している。しかも、中央政府は各会計年度に州毎の標準配分を決定して支出し、これを超えた制度利用による支出はすべて州政府が負担することとなっており、州政府の資金負担が大幅に増加する内容となっている。

ニュース記事では、西ベンガル州首相がその内容が書かれたメモを破り捨てて「無価値で侮辱的な」命令だと非難したとあるから、州政府側の反発は相当なものだ*8。余談だが、西ベンガル州では州が中央政府の指示を順守していないという理由で2022年以降MGNREGA資金の支給が停止されていたのだが(既に完了した仕事に対する未払い賃金も含んでいる)、最高裁まで争って10月に中央政府側が敗訴している*9

かつての日本の失業対策事業反対の意見の一つは、国と折半であった都道府県の予算圧迫でもあった。実際にこの法案が通ったとして、大幅に増加する州政府負担を避けたい思惑で、州議会内で制度そのものへの否定的意見も出てくるだろうし、他方、労働者の不満の矛先は十分な資金と伴う雇用を提供できない州政府にも向かうようになるだろうことは、容易に想像できる。

農繁期の雇用保障の一時停止

さらに新制度では、農業労働力の十分な確保を目的として、種まきや収穫などの農繁期を想定し、会計年度内で合計60日間、雇用保障を一時停止する期間を事前に設けることとなっている。これは、MGNREGAが農場での労働力不足の一因となっているとして多くの人々(ここには前UPA政権時代の農業大臣も含むようだ)に批判されてきたことに応える形となっている。

indianexpress.com

しかし、上記記事中ではデータも示しつつ、この見解に否定的である。過去10年に亘っての農村部における名目賃金上昇率が3.6-6.4%、農業従事者の名目賃金上昇率は3.7-7.1%で10年間のうち8年間が農村全体より農業従事者の賃金の伸びが上回ってはいる。しかしこれらはインフレ率とほぼ同水準で、農村全体や農業従事者の賃金が大幅な上昇をしているとは言い難い。むしろ記事中では、農村部の女性の労働参加率が大幅に上昇しており(2017-2018年度:24.6%、2023-2024年度:47.6%)、農村部の賃金に下押し圧力をかけていることを指摘している。

インドとは状況が異なるが、ここでもまた日本の失業対策事業を引き合いに出してみると、地域によっては失対賃金が地域別最賃を上回る逆転現象が起き、地域の土建業者や中小企業の資本家らから敵視されてきたと当時の資料から確認できる。*10

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加えて、現在のMGNREGAの賃金水準は、2009年以降見直しが凍結されており、実質賃金を下回るとの活動家でもある経済学者の見解もある。なお、記事中では凍結とあるが、完全に凍結されているわけではなく、しかし見直し水準が厳しく抑制的であったことは確かで、少なくとも、実質賃金を下回るという見解は正しいのではないかと推測される。後述する不正利用も問題とはなっているにせよ、MGNREGAが農場での労働力不足の要因というのはこの点からも否定されよう。

インドの農家における労働力不足の実感は否定しきれるものではないと思う。しかしながら個人的意見を添えると、要は、農業経営者、地主らにとって望ましい”安い”労働力が不足しているに過ぎないのではないか。そもそも、MGNREGAは「労働する権利」を法的に保証する目的があったにも拘らず、これを一時的にせよ停止することはその制度の立法根拠および目的を大きく歪ませるものである。

さらに余談で言えばだが、”MMTJGPに理解を示している日本人”は、この新制度による実質的な労働強制を好ましく認識する人も少なくないだろう。私は、「JGPで漁協や農協で働かせて地域活性化だ!」などと述べる人間を少なからず見てきた。彼らはかつてGHQが主導した農地改革と真逆のことを自分たちが提案していることに、全く無頓着なのである。これは誇張でもなんでもなく、かつての満州で現地中国人農民を強制的に小作農にしたのと同様、朝鮮人を国内炭鉱へ強制的に動員したのと同様、現代ではレタス農家や今治タオル工場で外国人技能実習生長時間労働を強いるのと同様、日本人を合法的かつ安い労働力として使い倒せるのがJGPだと認識しているわけだ。似非MMTMMT学派の文章の読みたいところだけをかいつまんで読むと苛烈に批判する癖に、JGPに関しては同じようなことをミッチェルやチェルネヴァの文章に対して行うわけだから、極めて質が悪いと私は常々考えている。

先の書簡では、MGNREGAは『労働権の明確な保障がその根幹を成す』、『経済的尊厳を基本的人権として確約するもの』と表明されているし、インドにおいて新法案に反対する活動家や経済学者らの意見を載せた下記の記事のタイトルは、『労働の権利の希薄化』である。強制的に徴税する癖に納税のために必要な仕事を与えない政府は非倫理的とも言える、ということはよくよく理解するのに、JGの内容は本人も含めた地域の人間で相談して決めるという素朴な権利行使の意味が分からない程度には、非倫理的なのだ。

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制度の不正利用、管理の限界

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他方、新法案に賛成する議員の意見を紹介した記事には、無視できない指摘も含まれている。

まず、人口約5000万人のアーンドラ・プラデーシュ州では、過去10年間で8億2000万ルピー相当の詐欺事件が11932件発覚、うち回収できたのはわずか4億8000万ルピーだったとあり、公正な制度運用の観点からは無視はできないものと思われる。記事中の議員は、資金回収だけでなく説明責任と懲罰措置が必要だと述べているので、少々過激である。全州を調べたわけではないのでかなりあてずっぽうになるが、金額ベースでは、例えば日本の生活保護不正受給の0.3-0.4%を超えるだろうと思われる。

こうした不正の横行には限られた予算内での管理の限界があるのではとも指摘されている。現在のMGNREGAでは技術アシスタント1人が4つのグラム・パンチャーヤトと約16の作業現場を担当しているとのことだが、議員はこれをグラム・パンチャーヤト2つにつき技術アシスタントを1人配置することを提案している。また議員は、独立した社会的責任監査部門が現行法制化では義務付けられておらず、実際多くの州ではこれが欠如しているとも指摘している。社会的責任監査は一般には労働環境や法令順守状況の確認を行うもので、ここでのそれが具体的に何を調査・評価するものを指しているのかはあまりよくわからないが、文脈からするに労働環境の評価よりも、開発事業活動の評価、不正利用抑止も含めた法令遵守が念頭にある発言に見える。

こうした賛成派の意見に加えて、都市部と農村の格差拡大、また、拡がる貧困人口の州間格差、農村部から都市部への移住者増加に伴う都市部のスラム化や生活環境悪化など、インドの複雑な状況も鑑みて敷衍すると、制度の不正利用の話などを日常的に見聞きする中で、制度へ悪感情を抱く一般庶民も少なくないだろうことは想像に易い。

大枠としては、恒常的な財政赤字と堅調なインフレが続く中、財政健全化を図ろうとしている中央政府からMGNREGAは以前より槍玉とされていたのが、COVID-19での一時的利用急増から見直しに強く動き出し、西ベンガル州への不支給についての最高裁敗訴などの背景もあり、強行的な新法案提出となったものではないかと推測する。

*1:資料中注記にも言及があるが、実際に失業手当が支払われた事例はほとんどない模様|港一樹『第4章 全国農村雇用保証法(NREGA)の政治経済学』(根本武功・三輪博樹編『モディ政権とこれからのインド』調査研究報告書、アジア経済研究所、2019、p.82)

*2:MNREGA is now Pujya Bapu Rural Employment Guarantee Act

*3:日本におけるJGPにおいては、やはり戦後の労働者協同組合の取り組みを大いに参考にすべきというのが持論だが、政治への直接参加という意味では、町内会を積極的に再生・活用していこうとする、多数の自治体でも導入されている地域担当職員制度もまた、非常に親和性が高いものとして注目すべきだと考えている。

*4:[港一樹『第4章 全国農村雇用保証法(NREGA)の政治経済学』(根本武功・三輪博樹編『モディ政権とこれからのインド』調査研究報告書、アジア経済研究所、2019、p.81)]

*5:Andhra Pradesh MP highlights state’s revenue deficit, says hurdle to funding MGNREGA replacement

*6:‘Reworking’ procedures to resume MGNREGS in West Bengal: Centre informs Rajya Sabha - The Hindu

*7:Centre to introduce Bill to replace MNREGA with new job guarantee scheme | India News - The Indian Express

*8:‘No relevance to us, they don’t bother about Bengal’: TMC raises pitch against proposed new rural job guarantees in VB G Ram G Bill | Kolkata News - The Indian Express

*9:‘Reworking’ procedures to resume MGNREGS in West Bengal: Centre informs Rajya Sabha - The Hindu

*10:中西五洲『失対事業打切りに反対する——全日自労のたたかい——』(部落問題研究所出版部『部落』152号、1962)

徒然格ゲー[1] - レバー+キーボードのアケコンを自作(改造)してみた

承前

改造したHORIのRAP.N HAYABUSA
改造したHORIのRAP.N HAYABUSA

ホントはこんな風にしたかったアケコンの3D CAD設計画面
ホントはこんな風にしたかったアケコンの3D CAD設計画面

週に2,3回程度、カジュアルにスト6やってて、いつまでも上手くならない弱小おっさんプレイヤーなのだが、VFなら3ボタン操作なので30㎜ボタンに何も文句がないのに対して、スト6における8ボタン使い分けでは30㎜ボタンはとても無理で(デフォルトボタン配置での小指でのインパクトとパリィが押せない)、24mmボタンアケコンであるPUNK WORKSHOPのPWS FS-24を手に取ってみたが、結局24㎜ボタンでも使いづらい、キーボードが一番正確に入力できて楽じゃねーか、というのが個人的な結論。

手持ちのPWS FS-24(ボタンはさらに増設済)
手持ちのPWS FS-24(ボタンはさらに増設済)

とにかく右手はキーボードがいい…。けれども移動はレバーがいい…。海外のオーダーメイドアケコンでそんなのがないか探したが、自分で調べた限りでは存在しなかったので、自作を試みた。が、アクリルケースやアルミケースの自作だとコスト的に見合わなかったので、基板が壊れて放置していたHORIのアケコンを改造した。

アケコン自作ないし改造の先駆者は多々いるが、制御基板、レバー、ボタンは市販品を利用してしまえばよいわけで、要は自分好みのレイアウトを行ったケースや天板を作成するところがメインの作業となるものと思う。私の場合は右手をキーボードにするため、いわゆる自作キーボードの作業としてPCB設計などが追加で必要となってくる点が、普通のアケコン自作ないし改造とは異なる点だ。需要もあまりないとは思うが、このようなレバー+キーボードのアケコン自作ないし改造の情報はネットで検索しても出てこなかったので、メモを残してみても良いのかなと思った。

レバー+キーボードのアケコンを自作(改造)してみた

キーボード部分のPCB設計

要は部分的にはキーボードの自作となるので、アケコンをどうするかはともかく、右手キーボード部分のPCB基盤設計から着手した。

まず、全く未知の領域であるため、自作キーボードの入門書を入手。

Vol1の設計入門編は参考になった。自作キーボードに必要な制御基板、キースイッチ、PCBなどについて基礎的な情報から丁寧に載っている。

特に、PCB、アクリルプレートを利用したサンドイッチ構造は、Vol1にてCherry MXないしKailh Choc v1それぞれのキースイッチを利用した場合のプレート厚、スペーサー高さについて詳細の情報が載っていたのが非常に参考になった。

また、本サンドイッチ構造についてはHaute42が出している小型格安レバーレス、Haute Board miniも参考になった。本製品はPCB、アクリルプレートのみのミニマム構成となっており、要は本製品で移動ボタン部分をレバーにしたい、というのが作成したいアケコンのイメージである。

Haute Board Miniを横から見た写真
Haute Board Miniを横から見たPCBとアクリルのサンドイッチ構造(なお、本アケコンはCherry MX互換キースイッチ採用で、PCB上部のキースイッチマウントプレート部分は5㎜となっているが、写真ではOutemu製ロープロファイルキースイッチに変更しているため、キースイッチが浮いている)

他方、今回の目的はキーボード自作ではなくアケコン自作なので、制御基板は市販品を利用することで、PCB上への制御基板レイアウトやファームウェア調整はすっ飛ばすことができる。以下、ポイントをいくつか。

Keyboard Layout Editorを利用したキー配置設計

Keyboard Layout Editorを利用すると直感的な操作で簡単にキー配置を検討できる。入門書では作成したレイアウト画像を原寸大プリントして指の可動範囲を確認すると良いと案内があるが、そこまでは行わなかった。

ポイントとしては、アケコンでの利用を想定して角度をつけている点、親指部分に配置した2キーは押しやすさを考慮して2uサイズとした点、私の右手の小指はとても短いので小指部分の2キーは一段低くしている点、など。

Keyboard Layout Editorで作成したキー配置
Keyboard Layout Editorで作成したキー配置

さらに、Plate & Case Builder - swillkbに、Keyboard Layout Editorで作成したレイアウトのRAW DATA(json)を入力して、所定のパラメータを設定すると、簡単にプレートデータを作成することができる。アクリル板などで作成するサンドイッチプレートも併せて出力することができるので便利。svgだけでなくCAD用dxf形式での出力もでき、この後のCADでの設計にそのまま活用できる。

Plate & Case Builderで作成したプレートデータ
Plate & Case Builderで作成したプレートデータ

kicadを利用したPCB設計

KiCad - Schematic Capture & PCB Design Softwareを利用してPCBの設計を行う。

制御基板は市販のものを利用する予定のため、単純にキースイッチだけが配置されたPCBで構わない。回路図設計などの説明は省いて、ここでもポイントだけ記載すると…

キーボード用のフットプリントについては有志の方が作成・公開してくださっているものがいくつかあり、このうちCherry MXとKailh Chocのキースイッチいずれにも対応したホットスワップを検討したが、ちょうど良さそうなものがないため、下記を利用させていただき、少し調整した。

調整したキースイッチ用フットプリント
調整したキースイッチ用フットプリント

PCBの設計については、キースイッチに角度をつけてしまったことと、Cherry MXならびにKailh Choc両キースイッチのホットスワップ対応をしてしまったため、初めての設計のくせに配線がややめんどくさいことになってしまった。適宜、kicadに付随する検査機能を利用して問題がなくなるまで微修正を繰り返した。

気を遣う人は、基板のゆがみによる断線への対応のために直線部分は最大3㎝にするなど配慮するらしいが、そこまでは行わなかった。超初心者の設計なので残念なところも多々あるかと思うが、改善点が良くわからない。唯一、四隅のホールについてはプレート端から2mm程度内側に設計したが、アクリル板で作成するサンドイッチプレートも考慮して、より内側に開けるべきだった。PCBの場合、ホール位置は恐らくプレート端から1-2㎜程度離れていれば十分と思われるが、アクリル板はレーザーカットの関係上、3mm以上離れているのが望ましい。また、本PCBはキースイッチ用でホール部分に負荷がかかることを考えても、プレートのより内側にホールを設置して強度を確保すべきだった。

kicadで設計したPCB
kicadで設計したPCB

PCBの発注

kicadのガーバーデータをアップロードしてそのまま発注できる会社は国内海外含めて多数あるが、小ロット発注可能かつ極めて安価なJLCPCBに発注した。最小5枚からの発注可能な点は、私のような個人利用には非常にありがたい。送料込みで約$15。商売成り立っているのか心配になるくらい。10日くらいで厳重な梱包にてあっさり届いてしまった。

PCB(表)
PCB(表)

PCB(裏)
PCB(裏)(キースイッチホットスワップソケットとピンヘッダ―ははんだ付け済)

3D CADでのアケコン設計(コスト的に断念)

先にPCB設計をやってしまってから3D CADでアケコンの設計を検討し始めた。

3D CADは、しばらく触っていないが、元々プラモデルの3Dプリンタ用で触っていたこともあり、非商用利用の個人利用であれば一部機能制限はあるが無料で利用可能なAutodesk Fusionを利用したFusion for Personal Use に登録する方法)。

支柱はどうしたものか迷ったのだが、数多くのアケコンを作成しているKENTZさんの過去作を参考にしていたところ(スト6アケコン制作記(準備・設計編)|KENTZ)、くろまき工房さんの支柱を利用していたため、これに倣って検討を進めた。

ついでに、くろまき工房さんのアケコン取っ手(リンクはPWS FS用)が地味に良いなと思い、調べてみるとどうも家具の引き出し用の取っ手を流用しているようで、こちらも入手可能な適当なものを探してモデリング

右手のキーボード部分はPCBのプリントがそのまま見えるようにしたいというのもあったが、さらにこの部分だけ取り替えて通常アケコンの30mm, 24mmボタンに換装可能な形態も目指した。

Autodesk Fusionでのアケコン設計(天板なし)
Autodesk Fusionでのアケコン設計(天板非表示)

ここまで設計してからアクリル板の発注先を検討したのだが、ケースすべてをアクリル板で作成しようとすると概算見積もり段階で5万円にもなってしまうため、流石にこんなにお金は出せない…と断念。アクリル板のオーダーメイドカットサービスは、部材のサイズと数、またカット長さに応じての金額となるのだが、特に、キーボード部分のサンドイッチ構造のために通常のアケコンケース部材に加えて複数枚のアクリルプレートが必要、丸穴を空ければ良いだけのアケコンと比較すると、キーボード部分のレーザーカットが複雑となる点が高コスト要因となってしまっていた。

コスト的な断念から、既存アケコン(HORI RAP.N)流用への方針転換

既にPCBは発注していた後だったため、なんとか安く抑えられないかと考えていたところ、制御基板ないし配線部分がイカれてレバーの6方向入力が66のダッシュ入力になってしまう壊れたアケコン(HORIのRAP.N HAYABUSA)が手元にあることに気づき、本アケコンのケース部分流用に思い至った。

アルミ板、アクリル板、PET板のCAD設計

RAP.N改造の方針転換に伴い、右手をキーボードにした場合のアルミ板、アクリル板、PET板をCAD設計しなおした。

RAP.Nの構造はレバー、ボタンともにアルミ天板に取り付ける形となっており、上記で設計したケースのように底板に支柱でレバー、PCBを取り付ける構造にするのは相当めんどくさくなりそう。さらに、天板をアクリルにした場合、レバー、PCBともにねじ止めとなって強度的にやや不安があったため、RAP.Nを踏襲してアルミ天板にレバー、PCBを取り付けることにした。

RAP.Nの天板は、レバーレス改造やオリジナルプリントを挟むため、先駆者によるsvgファイルなどがネット上に公開されているが、そちらも参考にしつつ自分で寸法を測りなおした。

RAP.Nのアルミ天板は裏にレバーマウント用部品が溶接されているのだが、この部分はアクリル板のスペーサーを挟ませるだけの簡易構造とした。RAP.N天板右上の24mmオプションボタンはそのまま流用。また、左上にSTARTなどの各種ボタン群が配置されているのだが、この部分の流用または新規ボタン設置はスペース的に厳しそうだったので思い切って潰し、後方部に取り付けられているPS用タッチパッド部分にボタンを搭載するためのパーツを設計した。

RAP.N天板(裏)
RAP.N天板(裏)(レバーマウント用部品が溶接されている)

RAP.N改造用のCAD設計
RAP.N改造用のCAD設計

アルミ板、アクリル板、PET板の発注

いくつかの会社から見積もりを取得して勘案した結果、下記の通り発注した。各社簡単なコメントを付す。

  • 1.5mmアルミ板:個人でオーダーメイドできる金属板金加工 | ALSUS.com
    • 複数社見積したのだが圧倒的に安価、かつ迅速丁寧な見積・メールをいただき信頼できた。発注すると、誤りがないようしっかりとした設計図面を書き起こしてくれる。サイズは339x259mmだったが、同サイズのアクリル板よりも安価だった。レバーアケコンの場合、強度、コスト双方の面からみて、アルミ板利用は十分検討の余地があると感じた。曲げ加工、ネジ穴用のバーリング加工も依頼OKで、コスト的に見合えばオーダーメイドアルミケースも視野に入る(箱型形状の製作事例は明らかにアケコン用途と思われる)。到着した板もRAP.Nにピッタリ!
  • 2mmアクリル板:Anymany|オンラインレーザー加工サービス【自動見積】
    • 所定の編集方法を守ったaiないしpdfファイルをアップロードするだけでWeb上で簡単見積・オーダーが可能な点が非常に便利。最大300x600mmの市販品板をカットする形となり、うまく発注すれば安上がりになる。
  • 8mmアクリル板、1.5mmPET板(アルミ板保護用):アクリル板|加工販売専門の通販【はざいや】
    • アクリルだけでなくかなり多くの素材を扱っている点、市販板を細かく指定できる点が他のサービスより非常に充実している。ツールを使わずともWeb上でカットオーダーができるが、今回のカットは角度のついた斜めカットもあり対応不可。pdfならびにdxfファイルを送付して個別オーダーで対応してもらえた。

各部材の寸法図(書き方は素人のため超適当)
各部材の寸法図(書き方は素人のため超適当)

アルミ天板、PCBをRAP.Nに仮組み
アルミ天板、PCBをRAP.Nに仮組み

一部部材は手元の3Dプリンタで作成

RAP.NのPS用タッチパッド部分にボタンを搭載するパーツもアクリルでオーダーしたのだが、オーダー後に設計変更したくなってしまった。が、プラモデル用に購入してしばらく使っていなかった光硬化レジンの3Dプリンタでも十分作成可能なサイズだったため、そちらでプリント。手持ちの水性光硬化レジンを利用したので耐久性の面で不安はあったが、実際にプリントしてみたところ大きな問題はなさそうだった。

完成したRAP.N HAYABUSA改造アケコン

RAP.NへのPCBの内部配置は干渉してそのままではできなかったため、プラモデル用のプラスチック向けカットソーを用いて適宜邪魔な部分をカットした。制御基板は裏から見た際の右下部分のネジ穴をそのまま流用して無理やり固定しているため、変な取り付け方になっているが、あまり気にしていない。右上部分はUSBケーブルが収納できるため、これはそのまま利用できるようにした。

改造したHORIのRAP.N HAYABUSA(内部。配線はかなり適当)
改造したHORIのRAP.N HAYABUSA(内部。配線はかなり適当)

後方部のタッチパッド部分には12mmのボタンを3つ配置。3Dプリンタによる水性光硬化レジンのパーツもきれいにハマってくれた。

改造したHORIのRAP.N HAYABUSA(元々はタッチパッドだった後方部)
改造したHORIのRAP.N HAYABUSA(元々はタッチパッドだった後方部)

レバーとPCBは天板表側からネジでそのまま固定となるのだが、手に引っかかりにくいよう、頭部がフラットなシカゴスクリューにして裏側からネジで固定した。固定方法がやや面倒になってしまったが頻繁に交換するものでもないし、しっかりと固定できたのでこれで良しとした。

改造したHORIのRAP.N HAYABUSA
改造したHORIのRAP.N HAYABUSA

実際に使ってみたところ、親指ボタンがかなり扱いやすくなったため、ここにパリイとインパクトを割り当て、思い切って小指は一切使わないことにした。また、弱Kボタンの左側に配置したボタンは投げに割り当てている。本改造のおかげかは厳密には良くわからないが、2日ほど触ってボタン配置に慣れると、ランクマですぐに1ランク上げることができた。しばらくはこのアケコンでマスターを目指したい。

スト6でのボタン割り当て
スト6でのボタン割り当て

各種パーツについて

  • 制御基板:RP2040 Advanced Breakout Board - Passthrough
  • レバー:Qanba Gravity JOV8S(Omron カスタム グレー軸)
    • 購入はATTASA SHOPなど
    • サンワやセイミツに比べると価格は高めだが、操作感がかなり軽めで八角ガイドが標準でついてくるところがうれしい。
  • キースイッチ:Durock Splash Brothers
    • 購入は遊舎工房ショップなど
    • トータルトラベルこそ3.5mmと一般的だが、アクチュエーションポイントが1mmのスピードスイッチ。ステムが長めで軸ブレも少なく、良いスイッチ。

他、参考にした情報

徒然選挙[1] - 『情況』2025春号、特集:ニューウェイブ政党の挑戦状に寄せられた塩野谷巻頭小論について

承前

ちょっと時期を逸しているのだが、またリベラル勢からかなりの反感を買って『情況』が話題となっていた。今回の特集は「ニューウェーブ政党の挑戦状」。表紙を飾るのは立花孝志で私も手に取るつもりになれなかったが、今頃になって気が向いて手に取ってみた。そうしてみると、たまたま先に手を取っていた『世界』7月号の特集1「憎悪の政治学」と共鳴しているように感じたのだった。

その表紙がとてつもなく挑発的であった立花孝志、また躍動の会増山誠のインタビューは、実際に読んでみると端的にどうでもよい凡庸なものだった。むしろ、こうした手合いの言葉は文字に書き起こしてみたほうが、大量のSNS投稿やyoutube動画では全く見えにくくなってしまっている、その凡庸さが明らかになるという点で良いのではないだろうか。なんの魅力もない。

他方、塩野谷、中村、白井聡の各小論、また、栗田英彦×武田崇元の対談は良かった。特に対談は聞き手の塩野谷に向けた批判と叱咤激励となっており、なんだかほっとしてしまった。批判は忘れずに、5年後、10年後に何らかの形で実を結べば良いな、くらいに捉えておくべきではないかと思った。少なくとも塩野谷からしてみれば、せっかく開始した連載は恐らく打ち切り確定であろう内田樹の態度こそ、左派リベラルのウォーキズムにかぶれた連中が報じているノーディベート戦術*1に他ならず、批判の矛先であるということになるのだろう。

うち、塩野谷が特集に寄せた巻頭の小論について、同誌の他の小論、また個人的に共鳴していると見て取った『世界』7月号の話も織り交ぜて、以下少しだけ書いてみたい。

『情況』2025春号、特集:ニューウェイブ政党の挑戦状に寄せられた塩野谷巻頭小論について

塩野谷の小論タイトルはなかなかひねったものになっていて、『政治を終わらせるために――ニューウェイブと脱コモンセンスの時代に――』*2である。始める、始まるのではなく、終わらせる――これだけだとなかなかわからない。

ポピュリズムという言葉に込められた侮蔑的意味

まず塩野谷は、「ニューウェイブ政党」を自民・公明・立憲・共産・社民などのオールド政党以外の、新興勢力の政治党派であると、とりあえず定義する。このニューウェイブの躍進の背景には、戦後民主主義アメリカ・リベラリズムのようなこれまで支配的であったイデオロギーが経済的基盤も失い、そして政治的正統性も失いつつある点を挙げるのに異論はない。

些末な点でやや気になった記述があったのだが――それらニューウェイブ自由主義と民主主義の両立をある意味で断念しているように見えると述べている点もその通りと思う。が、それに続けて、それらニューウェイブに投げかけられる「ポピュリズム」という罵倒を「自由主義リベラリズム)をバックに民主主義(デモクラシー)をハックしている」という意味だろうと述べるのだが、ちょっとだけ錯綜しているように見えて気になってしまった。なんとなく文脈的にはこのままでいいようにも思えもしたのだが、これは塩野谷がというよりも、自由主義と民主主義それぞれの言葉が意味するところを我々一般庶民が、あるいは私自身が至極あいまいに捉えているから錯綜したものになっているように見えているのかと思うのだが、本旨から外れて少し嚙み砕いてみたい。

ポピュリズム」という言葉に我々が込めている侮蔑的な意味とは、ちょうど『世界』7月号にて鈴木亘にて紹介されていたジャック・ランシエールよろしく、「民主主義への憎悪」として理解されるべきだろう*3ランシエールの議論はラディカルでかなり入り組んでいるためこちらは鈴木を参照していただければと思うが、これもひとまずはプラトン『国家』における民主主義批判――民主主義が渇望する自由と平等が行き過ぎた結果、既存秩序が攪乱・破壊されることにあると言ってよいだろう。

プラトンにおいては、自由に対立する秩序の維持――つまり統治者と被統治者の区別こそが、理想とする国制あるいは共同体の条件だった。そして我々が自由主義と呼ぶものは形は変えていながらもこの伝統を受け継いでいる――秩序の下における最大限の自由を、だ。このあたりは、国家の役割を必要最低限に限定し、個人の自由と自己所有権を最重視するリバタリアンのうちまともなものは、法秩序の重要性を訴えることからも明らかだ。あるいは同誌新連載の藤森かよこを引用すると、アイン・ランドが描く世界は民主主義的世界ではない。人間はみな平等ではない。ロークのような人間を最上位に置く位階秩序がある*4、といった具合なわけだ。

ポピュリズム」という言葉をしばしば侮蔑的に使う者は、既存の法や慣習による秩序内で一定の自由を享受し、かつそれに一定の満足をしているからこそ、それに対して決して少なくない数の民意の後押しを根拠とした異議申し立てにうんざりし、場合によっては憎悪まで向けているのだ。であるから、これを表現するにはイデオロギーを意味するそれぞれの言葉を入れ替えるべきで、「民主主義(デモクラシー)をバックに自由主義リベラリズム)をハックしている」と表現するべきだろう。なお、このあたりは塩野谷も、この後の議論で例えば、政治的であることは「コード(規範)に従うこと、共同体に屈服すること、他者に屈服すること」と述べており、その視座は十分に精確だろう。繰り返しになるが以上は、塩野谷によるポピュリズムという言葉の簡単な説明に私が感じた些末な違和を述べたに過ぎず、本旨ではない。

塩野谷の政治に対する視座

塩野谷は昨今の『情況』および編集長である塩野谷氏本人の政治スタンスが問われることが多いとのことで、自身の政治に対する視座について文章を続けているのだが、その視座は真っ当のものなのだがブレがなく、その当たり前のことが非常に見えにくくなって多くの人が政治に巻き込まれてしまっていると思われる現在において、非常に鋭いものに映った。

まず第一に、「政治」などというものは本来、人間の生の全体に比べれば取るに足らないものである。このことを忘れてはいけない。それは人間の生の営みの表層に揺蕩う陽炎のようなものにすぎない。人は生きるために政治を生み出したのだが、政治的人間は政治のために生きるようになるのであり、この顛倒は致命的な結果をもたらす。*5

全くその通りだと思う。ここではベタな、素朴かつリベラルな社会感に拠って補足してみるが、別に政治の領域でなければ公共に資する活動ができないわけではない。農家は米や野菜を作ればいいし、板金屋はステンレス板を加工して溶接すればいいし、土建屋はコンクリート基礎を打てばいいし、物書きは今まで誰も見向きもしなかった者を拾い上げて評論でも小説でもしたためればいいし、バンドマンはファズギターをかき鳴らし、ゲームプログラマーは今までなかった小さな新システムアイデアをコード化して動くようにして、聴衆を、ゲームパッドを握る小学生らを魅了すればいい。歴史に名を残すことはできないかもしれない。しかし、政治になんか参加しなくても、ずっと他人と自分の生活を豊かで安全なものにできるし、ずっと他人を、自分を幸福にできる(ここに他人を入れたくないのであれば、全く構わない)。むしろ、そのように政治以外の領域での多くの人の活動があるからこそ、政治の領域に優れた能力を持つ人間が彼らの手を借りつつ、政治の領域で如何なく力を発揮できる。

他方、政治のコード(規範)とは一言で言ってしまうならば、人口統治とそれを基礎づける資源分配が目的だが、目下、この公正な資源徴収と分配に多くの人が絶望しているのは、同誌で白井聡もはっきり書いている通りだ*6

ただ、ここに私の幼稚な持論を付け加えると、分業化と高度化、そしてマネジメントに次ぐマネジメントの嵐で、もはや我々は我々が行う行為が一体何の役に立っているのかも(自分のためになっているのかすらも)、さっぱりわかりにくくなってしまった。一見便利に見えるテクノロジーは大量の情報(という名の広告)を処理することを我々に強制し、1分1秒に追われつつ品質保証することが求められる。さもなければ即クレームが飛んでくるか、クレームが飛んでくるならまだマシで、次からはお声がかからなくなる。こんなものはアレントが「仕事」と呼んだものとは、心の底から思えない。少なくない人が、(狭義の意味での)政治に絶望するずっと手前で、政治ではない領域で絶望しているのだ。だからこそ政治への逃避を開始し、しかしやはりそこでも我々の行為への物語は提供されることはなく、「日本人」「国民」「人民」あるいは「労働者」「社会人」などというハッシュタグを付与されるまで。こうして2回目の絶望に至るわけだ。

そうした、安直に言い換えてしまえばささやかな自己愛、自尊心が満たされることがないという絶望は、とても幼稚なのものかもしれない。しかしそれは往々にして生まれてから、少なくとも物心ついた時から一度も、であるからタチが悪いし、それを諦めることこそ、自立した個人へ至る儀礼――塩野谷がヘーゲルを持ち出して述べる他者への屈服*7であるだろう。こうして、表層では屈服したように装いつつ自分だけのミクロストリアを欲して止まない私に対して、私の限界である幼稚な発想によってありきたりな物語を提示することで私は何度目かの絶望に至る――カジュアルなものから重篤なものまで、難しく考える必要はない、昨今の精神病理はたいていこれで説明がつく、あなたも典型例です、と。晴れて私にもあなたにも「自律神経失調症」などといったまた別のハッシュタグが付与される*8

普段から他人に容赦なくタグ付けすることにいそしんでいるくせに、いざ自分がタグ付けされるとナイーブに傷つくことで、我々は何度でもアトム化されるし、アトム化されなければならない。そろそろくどいが、アトム化とはばらばらにされることではなく、タグ付けによる、この世に生を受けた際に与えられたはずの、それだけですべてが満たされているはずの、名の剥奪だ*9。神の失踪という事態のずっと手前で、我々は何度でも名を剥奪されることでボロボロに傷ついている。

かなり話が脱線してしまったようにも思えるが、塩野谷の理路は整然としていて、他者との出会いによって生まれる人間関係と資源分配をめぐる政治の発生、政治におけるコードによる個人の政治化、コードを奉じる共同体内でのエコーチェンバー化、コードへの違和を表明したものへの共同体によるキャンセルについて淡々と記述し、必要なプログラムは「政治の廃止」であると説く。また、キャンセル・カルチャーは、この「政治の廃止」に至る契機となりうるという点でのみはポジティブに評価できるとまで言っており、たくましい限りだ。

「政治の廃止」へのエクソダスとその危うさ

ともあれ、こうして規定されるナイーブな「永遠の青年」とでも言って差し支えない個人が、せいぜい異世界転生ライトノベルやアイドルへのプラトニック・ラブに逃避するくらいに留まれれば随分と健全な方で、その極北においては『世界』7月号、ナオミ・クライン、アストラ・テイラーにて論じられるとおり、以前は世俗的であったシリコンバレーのエリートたちが、興味深いことに突如としてイエスに帰依しつつ*10あり、自分たち一握りの人間だけが、惑星改造された火星で生き延びるのだと極めてクソ真面目に考えるに至っているわけである。

塩野谷もまたこうした危険性を精確に理解しているように見えるが、それでもなお「政治の廃止」への道程を歩まんとする姿勢はやはりたくましく、より一層の危険に満ちているようにも見える。

なすべきことは、屈服せず戦うべき他者の範囲を全世界にまで拡大することだ。こうして人は、全世界の否定という終末的イメージを抱くようになる。だがこれを、現実でそのまま行動に移しても黙示録的破壊にしかならないし、壊すことしか能がなければ誰もついてこないだろう。全世界の否定という終末的イメージを極限まで突き詰めれば、この観念は存在しない世界、すなわちユートピアへの希求へと反転する。ここまで到達してようやく、個人は現実世界と完全に切断されたユートピアに対する想像力を獲得することができるのであり、自身における「政治の廃止」へと辿り着くことができるのである。*11

さらに塩野谷は、共同体の政治それ自体にも同様の構造があてはまり、近代における教会の失墜とともに露出した死の恐怖を唯物論無神論主権国家という新しい政治システムで隠蔽しようとする試みは綻びを隠し通せなくなってしまっており、神の失踪という絶対的恐怖逃げずに向き合うことで、近代以降に生まれたあらゆる政治体制を支持せず、共同体を「政治の廃止」へと導く道が拓かれる、と説く。他者たりえない神を探す旅が始まる*12

アンチテーゼに熱狂することのつまらなさ

しかし、その神を探す旅のひとつが、ロングテール手数料ビジネスで資産家から貧乏人までのはした金をかき集め、それを元手にゲーテッド・シティに閉じこもり、1日でも早く終末が来るようにとテクノロジーを加速させ、そのテクノロジーを既存秩序のハックに利用し破壊することにいそしむ、といったものなわけだ。

敢えてこう言うが、一言で言ってしまえば反動的(アンチテーゼ)の域を出ておらず、何故そんなつまらないものに熱狂できるのだろうか。

存在論のレベルであらゆる政治体制が支持できないのなら、現象のレベルの政治ではどこと接近してもいちゃついてもよいはずなのに、実際には特定のイデオロギー的立場にしばしば憑依してしまう、その恣意性とは何か、ということである*13

塩野谷は紙面の関係上、この問いを投げるところで文章を締める。この問いは既存の使い古されたイデオロギーを往々にして選択してしまう恣意性に向けられているものと思われるが、アンチテーゼを選択する場合においても事態は同様だろう。たぶん、その理由のひとつは既に塩野谷が書いてしまっており、共同体内ではこうして彼らにとって政治とは、いかに”適切な”言葉で鮮やかに物事を説明するかという脊髄反射を競うゲーム*14をしているのだが、アンチテーゼを提示する者もまた、これを敢えて”不適切な”言葉を使って遊んでみる、程度のことをしているに過ぎない。

世間を見渡せば事態はより愚劣で、右も左も、上も下も、それはキャンセルだ!と告発するゲームに明け暮れており、いや、その告発自体はとても大事なのだが、告発者は分け前を寄越せと言っているのではなく、相手を叩き潰すことを目的としているのは明らかではないか。この殲滅戦ゲームにおいては、如何に卓越した言葉を駆使して相手を野蛮人に仕立て上げることができるかがその勝敗を決めるまで、である。

強いていうのであれば、我々に必要なのは熱狂(passion)ではなく受苦(passion)ではないのか。

既存の世俗的政治システムが神の失踪、死の恐怖を隠蔽できないのと同じように、私ごときが思い至ったまた別の政治システムや物語が私を救済することは永遠に訪れない。私の世俗での試みは必ず失敗する。仮に、私が火星に移住できたとしても、移住するや否や、こんなはずではなかったと絶望が訪れる。ユートピアとは観念上のものでしかないのであり、現実にそんなものはどこにもないしその創設の試みは必ず失敗する。仮にありうるとするなら、我々はこの身体の軛から逃げ出すどころか、素粒子で構成されない世界を構想するレベルで、世界のあらゆるものを一切の無から作り出す必要がある。ニーチェバタイユを愛してやまない暗黒啓蒙者達はこの意味で十分に卑近で世俗的なのであり、ニーチェの「超人」を持ち出すなど片腹痛しである。

まして、ニューウェイブ政党の凡庸さといったら、である。彼らには差別的だとかなんだとか言ってやる前に、(決して冷笑するのではなくクソ真面目に)おまえの言っていることは極めてつまらない、お前には才能がないようにしか見えない、と言ってやるべきなのだ。

そうしたものよりはクライン、テイラーが持ち出す「ここ性(ヒアネス)」のほうが、それがまさに受苦から産まれ決して受苦から逃げないものとして魅力的に映る。簡単に補足すると、東ヨーロッパにおけるブンドは現地に残ってユダヤ人コミュニティを維持することを志向し、パレスチナに入植してユダヤ人国家を設立することを目指したシオニズムと対立していた。中世ドイツ語を基盤とするイディッシュ語を持ち出している点もヘブライ語を好むシオニストと対照的である。

東ヨーロッパでは、ファシズムスターリン主義による殲滅以前、ユダヤ社会主義者たちの労働者総同盟(レイバー・ブンド)が〈ドイカイト(Doikyayt)〉――「ここ性(ヒアネス)」――というイディッシュ語の概念を軸に組織化を行なっていたモリ―・クラバッブルは、この見逃されてきた歴史についての近く出版される著書を書き上げたところだが、〈ドイカイト〉を「自分たちの死を望むあらゆる者に抗い、みずからが暮らしているその場所で、自由と安全のために闘う権利として定義している――安全だとされたパレスチナアメリカ合衆国へと逃避することを強要されるかわりに。*15*16

他方、世間は殲滅戦ゲームに明け暮れているとはいえ、各々が各々の受苦をその契機としていることもまた、明らかである。受苦のただ中にいる者が提示する貧相でつまらない解決方法は唾棄してよい――その方法は受苦を取り除くものにはならない!――が、それに至る契機となった受苦はキャンセルすることなく共有すべきだろう。ランシエールは、「コンセンサス」とは、あらかじめ議論の場に立てる人々のみを「当事者」として想定し、それ以外の者を排除する発想であって、この「コンセンサス」によって「政治の消滅」がもたらされると述べる*17。多少乱暴に言ってしまえば、塩野谷の目指す「政治の廃止」こそ、ランシエールにおいては「政治」に他ならない。

(中略)重要なのは、憎悪への(真摯な)対抗、憎悪への(理性的な)批判、という問題構成の中で、それでも他者の知性を前提とすることである。劣った相手を教え導こう、あるいは切り捨てようとするのではなく、むしろあらゆる人間の知性の平等から出発して思考することである。*18

逆説的だが、平等を目的とすることが社会に理不尽に偏在する不平等の、受苦の源泉となっている。この平等の前提という道徳だけが唯一、受苦に対する鎮痛剤であり、既存の政治を廃止し、ようやく政治を始めさせてくれるもののように思える。

文章の一つ一つ、行いの一つ一つのなかに平等の局面を捉えるという、この常軌を逸した道を執拗に示し続ける以外に、すべきことは何もない。平等は到達すべき目標ではなく、出発点であり、どのような事態においても維持すべき前提なのである。心理が平等を弁護することは決してないだろう。平等はそれが確認されることのなかにしか、また常にいたるところで確認されるという条件でしか、決して存在することはないだろう。平等は民衆にすべき演説なのではない。それはただ会話のなかで示すべき一つの例、あるいはむしろいくつもの例であるのみなのだ。平等は、それを共有しようとする者とともに最後まで守らなければならない、失敗と隔たりの道徳である。*19

*1:塩野谷恭輔『政治を終わらせるために――ニューウェイブと脱コモンセンスの時代に――』、『情況』2025春号、p.7

*2:同上、pp.6-11

*3:鈴木亘『どのような憎悪か? ランシエールから考える』、『世界』2025年7月号、pp.76-81

*4:藤森かよこ『馬鹿ブス貧乏でも自由に生きたいあなたのためのリバタリアニズム すべてはアイン・ランドから始まった』、『情況』2025春号、pp.90-95

*5:塩野谷恭輔『政治を終わらせるために――ニューウェイブと脱コモンセンスの時代に――』、『情況』2025春号、p.8

*6:白井聡『振興政党とリベラルの破産』、『情況』2025春号、pp.32-37

*7:同上、p.9

*8:こうして精神医学が臨床現場ではなく政治的に語られることへの警鐘は、同誌の岩波明『多様社会に沈む医療 第一回 医療現場が取り残されたいくつかの事件』、『情況』2025春号、pp.84-89

*9:この意味で、夫婦選択的別姓制度は極めてくだらない。一部のブルジョアを除けば、姓もまたハッシュタグに過ぎない。強いて言えば、姓も含めて名であるとみなすのであれば、子への名付けは問題として残る

*10:ナオミ・クライン、アストラ・テイラー『終末ファシズムの勃興』中村峻太郎訳、『世界』2025年7月号、p.23)。また、菊地夏野氏が抄訳をブログにて公開してくれている:ナオミ・クライン「終末論ファシズムの台頭」抄訳公開 : おきく's第3波フェミニズム

*11:塩野谷恭輔『政治を終わらせるために――ニューウェイブと脱コモンセンスの時代に――』『情況』2025春号、pp.9-10

*12:同上、p.10

*13:同上、p.11

*14:同上、p.8

*15:ナオミ・クライン、アストラ・テイラー『終末ファシズムの勃興』中村峻太郎訳、『世界』2025年7月号、p.36

*16:他方で、クラインとテイラーが「ここ性(ヒアネス)」について持ち運び可能で、ナショナリズムから自由で、連帯のうちに根を持ち、先住民の権利を尊重し、国境によって縛られないものでありうる(同上、p.36)とも述べる点は、現世的なリアリティから遊離し、批判の対象であったはずのピーター・ティールを呼び寄せ、「ここ性」を掬い損ねてしまいそうに見えてやや鼻につく。とはいえ、ここではイスラエルが批判されているわけだが

*17:鈴木亘『どのような憎悪か? ランシエールから考える』、『世界』2025年7月号、p.78

*18:同上、p.81

*19:ジャック・ランシエール『無知な教師 知性の開放について』梶田裕・堀容子訳、p.204