rory / 仏教ロック!のプラモデル日記

プラモデル作成の過程を載せるつもりですが、気ままに書きます

徒然JGP[2] - ビル・ミッチェルによるBI批判とヴァン・パリースとの距離

承前

ビル・ミッチェルのブログを読んだら、説得的なBI批判をしていて納得するところが非常に多かった。MMTerによるBI批判の中では、最も説得的なのではないかと思われた――というか、これまで見聞きしてきたものについては、十分に説得的なものと思えず舌足らずな印象で、ずっと不満を持ち続けていた。最初からこれを読めばよかった…という後悔の念が襲う。

また、ヴァン・パリースらもしばしば引かれており、BIについてもかなり読み込んでいるのだなということが感じられた。

試しにブログ内を"Parijs"で検索してみると、12記事しかない*1。これに加えて、つい最近書いてくれたJGPに関する歴史的な経緯についての最良の記事もある*2。このくらいならば読み込んで、ミッチェルによるBI批判を日本語でまとめて、また自身の考えや知識とも接合してみようと考えてみた次第である。

まず、ミッチェルによるBI批判の要旨についてまとめてみる。

次に、ヴァン・パリースの理路における雇用レント概念について、ミッチェルによる理解に誤りが見られるため、この点について指摘する。これは、ミッチェルによるBI批判の有効性に決して影響を及ぼすものではない。ただし、ミッチェルによる的確なBI批判を受けてもなお、BIがその他の社会保障政策を補完する再分配政策として公正なものである可能性を改めて指摘することとなる。

最後に、下世話な推測も含んだ話を添える。

ビル・ミッチェルによるBI批判の要旨

前提:経済認識、特に失業問題発生原因についての認識の相違

まず、経済認識について。とりわけ失業問題の発生原因について、ミッチェルのブログから。

The BIG conception of income insecurity and unemployment is highly problematic. The existence and persistence of unemployment and the link to income insecurity is generally recognised by BIG advocates but the former is rarely explained. An exception, is leading BIG advocate, Belgian academic Philipe van Parijs who presents both an explanation of unemployment and a related model of BIG financing. Drawing from orthodox neoclassical theory, Van Parijs considers that unemployment arises because wage rigidities impede atomistic competition and prevent the labour market from clearing.

[拙訳] 所得不安と失業に関して、BIG (Basic Income Guarantee) の概念には非常に問題がある。失業の存在とその持続性、および所得不安との関連性は、一般的にBIG提唱者によって認識されている一方、前者についてほとんど説明されていない。例外的にBIG提唱者の第一人者であるベルギーの学者フィリップ・ヴァン・パリースは、失業の説明とBIG財政の関連モデルを提示している。ヴァン・パリースは、正統派の新古典派理論から導き出し、賃金の硬直性が原子状的競争と労働市場清算を妨げているために、失業が発生していると考える。*3

まず第一に重要な指摘は、所得不安はともかくとして、失業という現象についてどのように捉えているのかという点に、BI提唱者の多くが答えを持っていないということである。さて、例外であるヴァン・パリースの失業に関する記述を著作より引用すると…

(中略)現在のわれわれは非-ワルラス的な経済にいるのだと、つまり、何らかの理由に拠って労働市場は均衡する傾向にはないのだと仮定してみよう。(中略)インサイダー/アウトサイダー・アプローチによれば、組合組織がないとしても、現に雇用されているという事実や、職業訓練や解雇のコストなどから派生する交渉力のおかげで、労働者たちは市場均衡水準をはるかに超える賃金を継続的に要求することができるという。効率賃金アプローチによれば、賃金と労働生産性との間にはポジティブな因果的連関があるので、市場均衡賃金以上を労働者たちに支払うのは企業の利益になるという。(中略)このようにこれら二つのアプローチのいずれの説をとろうとも、完全に構想的な経済でさえ、ここで示されたような意味において、非-ワルラス的経済であり得ることになる。*4

ヴァン・パリースはインサイダー/アウトサイダー・アプローチおよび効率賃金アプローチで賃金の硬直性を指摘しており、これが失業を産み出していると述べている――つまり失業問題は競争均衡から外れることで生じる問題であると論じている。

MMTとしてはこれは受け入れられるものではない。MMTにおいて失業は、自然失業率やNAIRUの概念に従って、失業率を減らすために(裁量的な)財政拡大を使う必要はないという、政府によるマクロ経済政策による結果(失敗)である*5*6*7

加えて、こうした新古典派経済学的な考え方にもとづく経済理解から、次のような立場もBIにおいてはよく見られるものである。

In addition to constructing the problem of income insecurity incorrectly, the mainstream BIG literature advocates the introduction of a BIG within a ‘budget neutral’ environment. This is presumably to allay the criticism of the neo-liberals who eschew government deficits.

[拙訳] 主流の BIG (Basic Income Guarantee) 文献は、所得不安の問題を誤って構築していることに加えて、「予算中立」の環境において BIG を導入することを提唱している。これはおそらく、政府の赤字を敬遠する新自由主義者らの批判を和らげるためであろう。*8

これはBIの文章に触れたことのある人の多くが納得することだと思われる。BIの文脈において、財源は常に問題となってきた。なお、ヴァン・パリースは後述する雇用レント概念に基づいて、所得課税を財源とすることを提案している*9

無論、MMTあるいは簿記会計的事実を「輸入」して財政制約はないとしてBIを訴える人も今では少なくないのかもしれない。これについては後述する。

ミッチェルによるBIシナリオ1:予算中立性の下で給付されるBIは控えめな金額に終わる可能性

ミッチェルによるBI批判の文脈では、その導入に伴う大きく2つのシナリオが提示されている。まず1つ目。

I have always argued that BIG is palliative at best.

[拙訳] 私は常に、BIG はせいぜい緩和的なものだと主張してきた。*10

また別のところでは…

Under budget neutrality, the maximum sustainable BIG would be modest. Aggregate demand and employment impacts would be small, and even with some redistribution of working hours; high levels of labour underutilisation are likely to persist. Overall this strategy does not enhance the rights of the most disadvantaged, nor does it provide work for those who desire it.

[拙訳] 予算中立性の下では、持続可能なBIGの最大値は控えめなものに留まるだろう。需要と雇用への影響は小さく、労働時間の再配分をいくらか行ったとしても、高水準の労働力の未利用が続く可能性が高い。全体としては、この戦略は最も不利な立場にある人々の権利を強化するものにはならないし、望む人に仕事を提供するものでもない。*11

ミッチェルは、均衡財政志向の下ではそれで生活設計ができるような十分な金額のBIは望めないだろうというシナリオを提示している。

補足すれば、新古典派経済学の観点からは以下の点でも当てはまるだろう。

ヴァン・パリースの前掲書の訳者である後藤は、新古典派経済学的な就労インセンティブ議論に基づいている限りは、極めて低いBI水準が社会的に推奨される可能性を否定できないという指摘を行っている。

すなわち、BIの十分な水準を目指したとしても、それを実現するための個々人の効用関数が新古典派経済学で仮定される基本的性質を満たすのであれば、より低い課税率(代替効果が現れにくい)とより低い給付水準(所得効果が現れにくい)の組合せが推奨されるだろう、と。事実、アメリカで提出された負の所得税(NIT)に関する提案の多くは、低い給付減少率と低い最低保証レベルに特徴づけられると述べている*12

これはBIに限らず現行の社会保障費全般に言えることである。著しく低い捕捉率という大きな課題がある一方で、その給付金額については世界的にも比較的高水準だと言われている生活保護費ではあるが、(世帯構成にもよるが、少なくとも単身世帯では)最低賃金でのフルタイム労働での収入にも及ばない。さらに全労連の過去の試算では単身者の最低生計費は平均で月23万円必要と出ているが*13、これも最低賃金と比較すると10万円以上不足する。

ミッチェルによるBIシナリオ1.5:BIによって平均的な生活水準の低下を招く可能性

さらにミッチェルは続けて以下のような可能性も指摘している。俗なBI批判では直線的に労働力供給に問題が出るとの批判があるが、ミッチェルの理路はやや複雑である。これについて順に見ていきたい。

Second, it is highly unlikely that labour participation rates would fall with the introduction of the BIG, given the rising participation by women in part-time work (desiring higher family incomes) and the strong commitment to work among the unemployed. But there could be an increase in the supply of part-time labour via full-timers reducing work hours and combining BIG with earned income.

[拙訳] 第二に、(家計収入の向上を望んで)女性のパートタイム労働への参加率が上昇していることや、失業者の間における強い労働意欲を鑑みると、BIG の導入によって労働参加率が低下する可能性は低いと考えられる。しかし、フルタイム労働者がBIG と収入を組み合わせて労働時間を短縮し、パートタイム労働者の供給が増加する可能性がある。*14

まず、ミッチェルは労働参加率が高まる可能性を指摘している。関連して例えば、BI推進の第一人者であるイギリスの経済学者、ガイ・スタンディングはその著書で、以下のような調査結果や実験結果を紹介している*15

  • 2016年6月。スイスにおけるBI導入をめぐる国民投票実施前のある世論調査:経済活動をやめると答えた人は2%に留まり、半分以上がスキルを身につけるためのトレーニングを受けたいと答えた。他方、40%がボランティア活動を始めたいあるいは増やしたい、53%が家族といる時間を増やしたいと答えた。*16*17
  • ナミビアで行われたBIの試験プロジェクト:給付によって経済活動全般が拡大した。*18
  • インドのマディヤ・プラデシュ州での大規模なBI試験プロジェクト。大人(特に女性)の仕事量と労働量が増えた。*19

最近ではアメリカにおける初のBI実験に関する報告書が発表されたとの報道があった。カリフォルニア州北部に位置する人口30万人のストックトン市において、市民125名を対象に毎月500ドルを24か月間支給する社会実験が行われた。結果として受給者のフルタイム労働の割合が増加したという*20

これは、より給与の高い仕事への転職活動がしやすくなったり、求職活動に必要な資金を賄うことができたりと、BIを元手としてより生活水準を向上させる行動に移す人が多いということと認識できる。

しかし、これが大規模に行われた場合、とりわけ、およそ先進国において行われた場合について、ミッチェルは悲観的な可能性を指摘しているということとなる。

失業者ないし低所得層はBIを元手に求職ないしより高収入の仕事への転職を求める。他方、一定以上の収入を得ている層は、勉強やボランティア活動、家族と過ごす時間を増やすために、多少勤労所得が減ってもBIで補えれば良いと判断し労働時間を減らす。要は、ワークシェアリングがより進展すると見ているわけである。

Third, employers in the secondary labour market will probably utilise this increase in part-time labour supply to exploit the large implicit BIG subsidy by reducing wages and conditions.

[拙訳] 第三に、二次労働市場の雇用者はこのパートタイム労働者の供給増加を利用して、すなわち、BIG補助金が生んだこの状況を悪用して、賃金や条件を引き下げる可能性がある。*21

他方、BIが給付されることで、有給の仕事が増えるわけではない。二次労働市場は労働者供給が増えることで買い手市場となり、賃金や労働条件が引き下げられる可能性を指摘している。

この点について補足すると、70-90年代にかけてのBI批判には、雇用者が給付されるBIの分だけ労働賃金を引き下げる可能性が高いというもの多かった*22。ミッチェルにおいてはこの辺りも念頭に置かれているだろう。

BI給付開始が即賃金低下に繋がるとは思えないが、どこかの大企業が市井からの批判に構わずそのような判断をした場合には、一気に賃金引き下げが広まる恐れというのはあるかもしれない。

Fourth, some full-time jobs may be replaced with low wage, low productivity part-time jobs leading to falling investment, skill accumulation and ultimately falling average living standards.

[拙訳] 第四に、一部のフルタイム雇用が低賃金で生産性の低いパートタイム雇用に置き換わる可能性があり、投資や技能蓄積の減少を招き、最終的には平均的な生活水準の低下を招くことになる。*23

さらにミッチェルは続けて、フルタイム雇用が低賃金のパートタイム雇用に置き換わり、これが(設備)投資や技能蓄積の低下、そして最終的には平均的な生活水準の低下を招くことになる可能性を指摘している。

BIがそれを引き起こすのかはひとまず措くとして、フルタイム雇用が低賃金のパートタイム雇用に置き換わることが、産業の不振やサービス低下、ひいては労働者の生活水準の低下を招くというのは、とりわけここ20-30年ほどの日本を見てきた人にとっては首肯するところが大きいのではないか。日本の場合、これは派遣法改正などの労働規制の大幅な緩和、ならびに法人税減税などによって引き起こされたわけではあるが。

以上、ミッチェルのやや複雑な推測を見てきたが、個人的な考えを述べると、あくまでミッチェルの言う指摘は、悲観的な可能性に留まるものと考えている。というのも、上述したようなナミビアのような事例、つまり発展途上国で経済規模の伸びしろのあるケースにおいては、貧困層が貧困からの脱出のためにBIを元手に利用してプラスに働くケースというのも考えられるからである。他方、先進国においてはミッチェルの述べるシナリオを辿る可能性は高まるだろう。

竹中平蔵がBIを提案する理由

余談ではあるが、日本において竹中平蔵日本維新の会が、現行の生活保護社会保険を置き換える形でのBIを提案したりしているが、私は彼らの真の目的は、ミッチェルが指摘する可能性――さらなる非正規雇用増加と低賃金労働市場の拡大ではないかと思われる。

パソナのような派遣業の私企業からすると、生活保護をBIに置き換えたところで大したメリットはない。社会保険を置き換えることができたなら、企業負担分が丸々なくなるわけで大喜びであろう。が、この置き換え案について竹中平蔵が昨年のテレビで披露するとTwitterをはじめとしてネット上で大いに反論が起こり、竹中は決して置き換えを目指すものではないとの方向修正を迫られることとなった。

しかし、これは最初から竹中のシナリオに組み込まれているものであり、単なる交渉術(ドア・イン・ザ・フェイス)ではないのか。確かに社会保険がなくなるのであれば企業負担分も浮くので雇用者側にも相当なメリットになるが、それなしでもBI導入によるワークシェアリング進展が雇用者側のメリットになる可能性は高い。

単純な正規雇用から非正規雇用への転換には限界が来ている。よって、これまで就業を諦めていた潜在失業者層にはBIを元手に学習や就職活動などさせて労働市場へと参入させ、労働時間を減らしてもBIで収入が下がらないのであればと考える正規雇用層を非正規雇用層へと転換させる。このような二次労働市場の盛況、非正規雇用の拡大こそが最大の目的と思える。

ミッチェルによるBIシナリオ2:高水準のBIによる破壊的なパターン

ここまで、新古典派経済学に従うことによって、BIの給付水準が低いものに留まる可能性についてみてきたが、当然、反論があるだろう。すなわち、先にも触れたように、MMTあるいは簿記会計的事実を「輸入」して財政制約はないとしてBIを訴える者によって、生活設計が成り立つような十分な額のBI支給は可能だ――明け透けなく言えば、月に20万円でも30万円でも40万円でもBIを給付することは可能だ――という反論である。

しかし、このようなケースについてはミッチェルはより厳しいシナリオを提示している。これについての記述はやや言い回しが難解であるため、簡便のために箇条書きにしてみる。

  • 均衡財政志向に留まらない、高水準のBIGの導入
  • 通貨価値の下落、インフレ・バイアスの発生
  • 財政支出削減による金利調整、あるいは増税
    • 労働者らの労働市場からの脱落、総労働力供給量の減少

これも順番に見ていく。まず、ここでいう高水準のBIとは、前述した全労連が推計した単身者の最低生計費である月23万円/年276万円と、とりあえず仮定する*25。2021年1月の15歳以上人口は1億1000万人強であり*26、これに上記金額を給付すると考えるとおおよそ300兆円、2020年の名目GDP539兆円*27の60%弱に相当する。半分の月12万円程度でもおおよそ160兆円、名目GDP比で30%弱である。

この高水準のBI給付によるインフレ・バイアスは不可避だろう。政府はBIに手を付けずにこれに対処するということとなると、BI以外の財政支出削減、あるいは増税で対処することとなる。

続けてミッチェルは、高水準のBI給付下においては失業者、被雇用者ともに労働市場からの脱落が発生すると述べる。これを補うと、短期的には失業率の大幅な悪化が見られることになるだろう。ただし、推測される状況はもう少し複雑である。

その後すぐにミッチェルは、労働者を労働力から押し出す形での完全雇用の達成、と続けているのだが、これは幾分か皮肉も込められている表現でもあろうが、やや厄介な現象が起こる可能性を示唆しているとも取れる。つまり、高水準のBI給付下および熾烈な就業競争という状況を前にして、多くの失業者や被雇用者が就業を諦め、給付されるBIのみ、あるいはそこにパートタイム労働での収入を加えた生活に甘んじることで、完全雇用が達成されると言っているわけだ。就業を諦めた者は労働人口としてはカウントされないためだ。もしかすると、これは完全失業率では把握することができないが、「潜在失業」(非労働力人口のうち、適当な仕事がありそうにないとされている者も含めた失業)*28や「不本意正規雇用」の割合*29で把握することが可能かもしれない。が、中長期的にはそれらの指標にすら現れない可能性すらある。

さらにミッチェルは続けて、2つの破壊的なパターンを提示する。

  • 労働供給量の減少による、さらなるインフレ・バイアスの発生
  • あるいは、過小な供給力を満たすための輸入増加と、伴う為替レートと国内価格水準への影響による、さらなるインフレ・バイアスの発生*30

このように、持続的な完全雇用と物価安定の両方を実現する観点から、高水準のBIには非常に問題があると述べている。*31

個人的には、これはさすがに言い過ぎではないかと考えている。つまり、このようなシナリオが現実に発生した場合、どこかで間違いに気付いて、BIの水準低下や廃止へのバックラッシュが発生するだろうと思われるためである。しかし、とにかくBIによって発生したインフレ・バイアスにどう対処するのかが問題であることに変わりはない

積極財政を訴えるBI推進者の隘路

さて、積極財政を訴えるBI推進者についてミッチェルは特に言及していないので、以下で簡潔に補うこととする。繰り返せばBIによって発生したインフレ・バイアスにどのように対処するのか、ということが積極財政を訴えるBI推進者には問われるのである。

一部のBI推進者は雇用創出のための継続的な積極財政を訴えるだろう。また一部のBI推進者は通貨価値下落と労働市場の悪化からさらなる高水準のBIを求めるかもしれない。いずれにせよ、さらなるインフレ・バイアスに悩むこととなる。

BIを維持したまま正当にインフレ・バイアスに対処するためには増税しかない。均衡財政を訴えるBI推進者においては、増税とセットのBIは当たり前で既知のものであるが、しかし、積極財政を訴えるBI推進者から、これについて歯切れのよいシナリオを聞いたことがない。結局、高負担の累進所得税あるいは消費税などで対処せざるを得ないだろう。ただし、ミッチェルの示す悲観的シナリオは、供給力減少に伴うコストプッシュインフレであり、増税での対処効果も限定的となる可能性があるのが厄介だ。

他方では、インフレ・バイアスへの対処を考慮したBIを提案する者もいる。例えば前述したガイ・スタンディングなどは、固定額面と、景気循環=インフレ率に連動する変動額面により構成された2階建てのBI(安定化グラント)を提唱していたりする*32。が、私からすればどうして景気に変動する給付金で生活設計をすることができるだろうか、貨幣価値が目減りしてより多くの給付金が欲しい状況にあって減額されることが決まっているBIなど、当初の目的を失っていて本末転倒ではないか、などと思う次第だ。

BI導入によって産まれ得る社会的不正義

そしてとりわけ重大なのは、BIが新たな社会的不正義を産み出す可能性である。

The so-called ‘freedom’ that basic income recipients enjoy (allegedly) comes at the expense of those who want to work being forced to be front line soldiers in the fight against inflation.

Essentially, basic income advocates have no answer to that question and problem. They are essentially in denial of the realities of capitalism.

[拙訳] BI受給者が享受する(とされる)いわゆる「自由」は、働きたいという意欲を持つ人がインフレとの戦いで前線の兵士になることを余儀なくされるという犠牲の上に成り立っている。

本質的に、BIの支持者はこの疑問と問題に対する答えを持っていない。彼らは本質的に、資本主義の現実を否定しているのだ。Some historical thinking about the Job Guarantee – Bill Mitchell – Modern Monetary Theory

ミッチェルによる厳しい批判であるが、私は正当であると考える。

もし付け加えるなら、BIを受給してそれのみで生活設計を立てる層と、より高い生活水準を目指すなどの目的で就業を目指す層は重なる。低中所得層が、BIで生活を成り立たせながらも、熾烈な就業と失業の繰り返しに苦しんだり、低い待遇に甘んじたり、場合によっては就業を諦めるのである。これは果たして社会正義に適うものなのだろうか。

――私はそれでも(皮肉ではなく)、JGPという政策アイデアと、高所得層や富裕層の存在をないものとして考えるなら、BIの導入は今よりもマシな状況を生み出すように思える。

現状は、効用関数で示されるような個人をモデルとして代替効果と所得効果からその給付水準を低く抑えられた社会保障給付を受ける、失業者も含めた超低所得の貧困層が、割を食っているのである。

対して、BIの給付によって相対貧困率が改善することは事実である。既存の社会保障に手を付けないという前提であれば、BIはこの層に対してはメリットをもたらす。ただし、ここまで見てきたように、インフレとその調整弁としての失業、低待遇就業への転落、あるいは労働市場からの離脱の可能性の高まりというデメリットももたらす。

BIは低中所得層の多くを熾烈な就業競争のスタートラインに立たせるという意味で、そのデメリットを広く分け合いましょうという意味で、平等をもたらすかもしれない。この意味で、私は、「今よりはマシ」と言えるかもしれないと考えるのである。

BIとJGPの真の争点とは

それどころか、このような状況を望ましいと見るBI推進者も少なくないだろう。例えば育児や介護といった社会的価値のある「無給の」仕事に対しての補償としてBIがあるのだ、と。労働供給量の減少というがそれは「有給の」仕事と求職活動だけを見ているだけではないか、「仕事」の概念を狭く捉えているからそう見えるのではないか、と*33*34

ここに至り、ようやくBIとJGPの真の争点が明らかになると言えるかもしれない。

すべてのBI推進者がそうだというわけではない。既存社会保障の置き換えと小さな政府を望むネオリベ志向のBI推進者もいる。

すべてのMMTerないしはJGP推進者がそうだというわけではない。あくまでマクロ経済学的な観点から、物価安定のビルトインスタビライザーとして労働力のプールを提供する機能をこそ重視してJGPを捉えている者もいる。

しかし少なくないBI推進者、およびMMTerないしJGP推進者は、現実の「労働」や「生産性」が私的な利潤追求というごく狭い意味の範囲で用いられ、また、個々人の評価に用いられていることに疑問を抱いているのだ。これに少なくない人が苦しめられている社会に変革をもたらすためには、どのような方策があり得るのかという点で、BI推進者とJGP推進者は哲学的にも実践的にも、意見を異にする。

至極簡単に言えば、BI推進者は「仕事[work]」と「労働[labor]」を分離し*35、「有益[gainful]」だとか「生産的[productive]」だとかといった意味を「労働」から切り離すことで変革を達成しようとする。これに対して、JGP推進者は「仕事」と「労働」は我々の「活動全般[activity]」の要素であり「労働」だけ切り離そうとしてもそううまく切り離せるものではないので、現在、我々が「仕事」や「労働」と呼んでいる「活動」の実践を通して、「有益」だとか「生産的」だとかといった言葉の意味、「仕事」や「労働」といった言葉の意味の変革を達成しようとする

単純な経済/社会保障政策として考えるならば、BIは貧困対策、JGPは雇用対策といった形で異なるレイヤーに位置するものとして考えることができる。しかし、上記の通り、理念的な点での違いが、しばしばいがみ合ったり噛み合わないBI推進派とJGP推進派の対立の源泉なのではないだろうか。

ここまでミッチェルによるBI批判を見てきたわけだが、マクロ経済に対する政策の影響度合いを考えるに、BIには大きな問題があると評価せざるを得ない。この点から考えると、仮にBIを実施するにしても、最低生計費ほどの十分なBIは財政均衡の観点からではなくインフレ抑制の観点から諦めざるを得ず、少額に留めざるを得ない可能性が示唆される。

他方、JGPについてはBIとはまた別の制度設計上の困難を抱えているように見える。とりわけ、ワークフェア等の既存の積極的労働市場政策の失敗に対する反省を生かした設計と運用について、パイロット研究*36やインドの実例に対する評価・研究(MGNREGA*37*38)などが必要と考えられる。

私個人は、BIによって生計を立てるサーファーが実現達成困難、あるいは実現したとしてもそれは著しい社会的不正義を伴っていると考えることから、JGとしてサーファーが活動する世界を夢見て、JGPの可能性を模索したいと考える次第である。

ビル・ミッチェルによるヴァン・パリース理解における誤り

そろそろ文章を終えたいところだが、その前にミッチェルによるヴァン・パリース理解における誤りらしいところが見受けられたので記載しておく。これはここまでに述べたミッチェルによるBI批判の有効性に疑義を生じさせるようなものではない。ただし、それを修正することでBIを再定義・再提示することができるだろう。

ミッチェルによる雇用レント概念の素朴な理解

ミッチェルによる雇用レント理解は以下から伺える。

But the concept of ‘rents’ being available in the first place can be expressed more simply. It just arises from a shortage of jobs. There is nothing ‘natural’ about the fact that some people have jobs and others do not.

[拙訳] しかし、そもそも「(雇用)レント」が手に入るという概念はもっと簡単に表現できる。それはただ、仕事が不足していることから発生する。仕事を持っている人と持っていない人がいるという事実に、「自然」はない。*39

つまり、この雇用レントは非就業者と就業者間のレントとして解されている。

しかし、少なくともヴァン・パリースの述べる雇用レントは非就業者と就業者の間に発生するに留まらない。

ヴァン・パリースは雇用レントをサラリーマンのような被雇用者だけでなく、自営業者や資産運用での不労所得者にも適用可能であると述べている。加えて、所得の異なる就業者間にも発生しているものだとみなせると捉えている。ゆえにヴァン・パリースは、ジョブという椅子の獲得競争によってすべての社会成員に対して生じている雇用レントの是正を、BIの社会正義として提示しているのである。

再定義されるBIと、BIとJGPとのミックス政策の利点

この点の詳細については以前の記事を読んでいただきたいが*40、これは2つの意味で示唆的であることには言及しておきたい。

ひとつは、JGPの導入によって就業者と失業者間の雇用レント差は大きく是正されるため、ヴァン・パリースの雇用レント概念、正義構想にとっても、JGPは望ましいものと見ることができるという点である。

もう一つは、しかしながら就業者間の所得差はJGPでは埋められるものではないので、ここでBIが要請されるという点である。ヴァン・パリースがBIの原資として所得課税を要請するのも、新古典派経済学的な均衡財政の観点からというよりは、この公正さを求める観点に大きく因っている。

ここに至り、ビル・ミッチェルによるBI批判、およびヴァン・パリースによるBI構想を通すことによって、BIはすべての社会成員に不可避で発生している雇用レント差を埋めるないし緩和することを目的とした、恒久的に要請される社会保障政策/再分配政策として再定義され、この点で一定の社会正義を有しているのである

そしてこのように提示されたJGPと再提示されたBIは、いずれについてもヴァン・パリースによって構想されたロールジアンモデルの正義にも適うものなのである。ただし、JGPはBIに優先されるだろう。また、所得課税もセットでBIを検討するならば、それはNITや給付型税額控除に近いものになるかもしれない。

加えて、BIとJGPのミックス政策は次の意味で良い意味での制度的緊張をもたらす可能性があるものと考えられる。

すなわち、

  • 有業者の地位を、失業を繰り返す者や無業者に対して実質的に「選別」し「保護」するようにJGPが作用するのであれば、BIの理念的側面からこれは否定されるだろう。
  • 対して、(不労所得者を含む)無業者の地位を、有業者や失業を繰り返す者に対して実質的に「選別」し「保護」するようにBIが作用するのであれば、JGPの理念的側面からこれは否定されるだろう。

ビル・ミッチェルとヴァン・パリースとの距離

後、もう少しだけ。

Twitterの一部界隈では、ビル・ミッチェルがマルキストであるという側面を訝しむ向きも見られるが、少なくともJGPに見られるマルキストとしてのミッチェルの展望は、ずっとささやかなものである。

JGPを通して社会における生産性といった言葉の持つ意味を変容させよう、それには教育が必要だし、長い時間がかかる、と述べている*41。なんとささやなか革命ではないだろうか。

ここまでヴァン・パリースに言及する部分を中心にミッチェルのBI批判をを見てきた。思うに、70年代に既にJGPの着想を持っていたミッチェルからすれば*42、BIによって資本主義をより強化・推進して共産主義の実現を目指すヴァン・パリースの理路は苦々しいものであったと思われる。もしくは、絶対に口にすることはないだろうが、ソ連ベルリンの壁崩壊前までは、案外と有力な選択肢のひとつなどと思っていたのかもしれない。しかし、具体的な時期はわからないが、少なくともソ連ベルリンの壁崩壊以後に、BIではダメだという確信を得たのではと思われる。

対して、ヴァン・パリースは93-95年あたりだが、マルキシズムを捨ててリバタリアニズムに転向する(と言っても今でも十分にマルキストな気がするが)。ヴァン・パリースがそれまで共産主義の実現のためにBIが必要だと言っていたのを、突如、真の自由を個々人が獲得するためにはBIが必要だと言い始めて、"Real Freedom for All”を書き上げたのが95年である*43

これにミッチェルは、それ見たことかと思ったか、はたまた、大きなショックを受けたのではないか。私はなんとなく後者ではないかとついつい考えてしまう。ヴァン・パリースの著作は95年とそれ以後のものが圧倒的に有名なはずなのに、わざわざそれより前の、しかもマルキストとしての側面が如実にわかるヴァン・パリースの文章を多く引用するのには、含みがあるとしか思えない*44*45*46*47

強烈な違和を感じつつだったのかもしれない――マルキストとしてBIを論じるヴァン・パリースは、ミッチェルにとって80-90年代を通して何かと気になる存在だったのではないかと思われる。それが突如、転向する。それもBIを捨てるのではなくマルキシズムを捨てるわけだから、はらわたが煮えくり返ったのではないかと思われるのだ。

私は、ミッチェルのBI批判の多くは、理論的というよりは、「もううんざりだ!」という感情の吐露に思える。30年以上もそれと付き合ってるのだ、そうもなるだろう。

それでも時折、冷静で説得的な批判を論じていることは既に述べた。そしてたぶん、サーファーの自由を擁護せんとするヴァン・パリースも、以下のJGPの提案には大きく賛同するのではないだろうか。

The Job Guarantee in fact provides a vehicle to establish a new employment paradigm where community development jobs become valued. Over time and within this new Job Guarantee employment paradigm, public debate and education can help broaden the concept of valuable work until activities which we might construe today as being “leisure” would become considered to be “gainful” employment.

So I would allow struggling musicians, artists, surfers, Thespians, etc to be working within the Job Guarantee. In return for the income security, the surfer might be required to conduct water safety awareness for school children; and musicians might be required to rehearse some days a week in school and thus impart knowledge about band dynamics and increase the appreciation of music etc.

Further, relating to my earlier remarks – community activism could become a Job Guarantee job. For example, organising and managing a community garden to provide food for the poor could be a paid job. We would see more of that activity if it was rewarded in this way. Start to get the picture – we can re-define the concept of productive work well beyond the realms of “gainful work” which specifically related to activities that generated private profits for firms. My conception of productivity is social, shared, public … and only limited by one’s imagination.

In this way, the Job Guarantee becomes an evolutionary force – providing income security to those who want it but also the platform for wider definitions of what we mean by work!

[拙訳] 実際、雇用保証は、コミュニティ開発に関する仕事が評価されるようになるだろう、新しい雇用パラダイムを確立するための手段を提供している。時間が経つにつれて、そしてこの新しい雇用保証パラダイムの中で、私たちが今日「余暇」と解釈しているような活動が「有益な」雇用であるとみなされるようになるまで――価値ある仕事という概念を広めることに、公共における議論と教育を役立てることができる。

だから私は、苦労している音楽家、芸術家、サーファー、役者などが雇用保証の範囲内で働くことを認めるだろう。もしかしたら収入保障の見返りとして、サーファーは学校の子供たちに水の安全啓発を行なったりすることが求められるかもしれない。音楽家は、週に何日かは学校でリハーサルをしたり、バンドのダイナミクスに関する知識を教えたり、音楽の鑑賞力を高めたりすることが求められるかもしれない。

さらに、私の以前の発言に関連して――コミュニティの活動は雇用保証の仕事になる可能性がある。例えば、貧しい人々に食料を提供するためにコミュニティガーデンを組織し管理することは、有給の仕事になる可能性がある。それがこの方法で報われた場合、我々はさらに多くのコミュニティの活動を見かける機会が増えていくこととなるだろう。理解し始めよう――我々は、「有益な仕事」という言葉が意味する範囲――企業のための私的な利益を産み出す活動に強く結びついているその言葉の意味する範囲――を超えて、生産的な仕事の概念を再定義することができる。私にとっての生産性という概念は、社会的で、共同的で、公共的な...そんなものなのだけれども、人の想像力によって、それは今、制限されている。

このようにして、雇用保証は進化の力となる――それを望む人々に所得保障を提供するだけでなく、私たちが意味する「仕事」の定義をより広く定義するためのプラットフォームとなるのだ。*48

*1:Search Results for “Parijs” – Bill Mitchell – Modern Monetary Theory

*2:Some historical thinking about the Job Guarantee – Bill Mitchell – Modern Monetary Theory

*3:Income or employment guarantees? – Bill Mitchell – Modern Monetary Theory

*4:フィリップ・ヴァン・パリース 著|後藤玲子、齊藤拓 訳『ベーシック・インカムの哲学―すべての人にリアルな自由を』(1995-2010, 第4章 資産としてのジョブ, pp.174)

*5:Some historical thinking about the Job Guarantee – Bill Mitchell – Modern Monetary Theory

*6:歴史的経緯については|Some historical thinking about the Job Guarantee – Bill Mitchell – Modern Monetary Theory

*7:あるいは新古典派経済学者からJGPに関する批判として、ガイ・スタンディングは堂々とNAIRU概念を挙げている。話が全く嚙み合わない|ガイ・スタンディング 著|池村千秋 訳『ベーシックインカムへの道』(2017-2018, pp.233-236)

*8:Income or employment guarantees? – Bill Mitchell – Modern Monetary Theory

*9:本件については過去記事を参照のこと|BI(ベーシックインカム)の政治哲学的根拠、およびJGPの可能性 - rory / 仏教ロック!のプラモデル日記

*10:Employment guarantees are better than income guarantees – Bill Mitchell – Modern Monetary Theory

*11:Income or employment guarantees? – Bill Mitchell – Modern Monetary Theory

*12:フィリップ・ヴァン・パリース 著|後藤玲子、齊藤拓 訳『ベーシック・インカムの哲学―すべての人にリアルな自由を』(1995-2010, 訳者解説2, pp.455-469)|または|アマルティア・セン後藤玲子 著『福祉と正義』(2008、終章、pp.263-296)

*13:最低生計費は月23万円強に/全労連が発表/地域間で差は見られず - 連合通信社

*14:Income or employment guarantees? – Bill Mitchell – Modern Monetary Theory

*15:ガイ・スタンディング 著|池村千秋 訳『ベーシックインカムへの道』(2017-2018, pp.192-193)

*16:1er sondage représentatif : la Suisse continuera à travailler ! - Initiative pour un Revenu de base Inconditionnel

*17:Tabellen_Befragung_BGE_GesamtCH.pdf

*18:Basic Income Grant Pilot Project Assessment Report, April 2009, Namibia NGO Forum

*19:S. Davala, et al.(2008), Basic Income: A Transformative Policy for India

*20:米国初のベーシックインカム実験に関する結果報告書が発表、その成果は...... | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

*21:Income or employment guarantees? – Bill Mitchell – Modern Monetary Theory

*22:Real Freedom versus Reciprocity: Competing Views on the Justice of Unconditional Basic Income - Robert J. Van Der Veen, 1998

*23:Income or employment guarantees? – Bill Mitchell – Modern Monetary Theory

*24:Options for Europe – Part 83 – Bill Mitchell – Modern Monetary Theory

*25:最低生計費は月23万円強に/全労連が発表/地域間で差は見られず - 連合通信社

*26:統計局ホームページ/労働力調査(基本集計) 2021年(令和3年)1月分結果

*27:統計表一覧(2020年10-12月期 2次速報値) - 内閣府

*28:統計局ホームページ/労働力調査(基本集計) 2021年(令和3年)1月分結果

*29:不本意非正規(2020年4月版)|定点観測 日本の働き方|リクルートワークス研究所

*30:Options for Europe – Part 83 – Bill Mitchell – Modern Monetary Theory

*31:詳細な検討は右記参照とのことだが未読|Wages and Wage Determination in 2004 - Martin J. Watts, William Mitchell, 2005

*32:ガイ・スタンディング 著|池村千秋 訳『ベーシックインカムへの道』(2017-2018, pp.35, 120-122)

*33:ガイ・スタンディング 著|池村千秋 訳『ベーシックインカムへの道』(2017-2018, pp.185-188)

*34:Guy Standing (2014), A Precariat Charter: From Denizens to Citizens

*35:アレントによる分類を想起されたい|ハンナ・アレント 著|志水速雄 訳『人間の条件』(1958-1994)

*36:【オーストリアXJGP】世界初の無条件での就業保証プログラムを導入(パイロット研究)|ゲーテちゃん|note

*37:Mahatma Gandhi National Rural Employment Gurantee Act

*38:ポスト・コロナにおけるインドの失業と就業保証(JG) (2020年11月17日、ミント[インドビジネス誌])|ゲーテちゃん|note

*39:Is there a case for a basic income guarantee – Part 2 – Bill Mitchell – Modern Monetary Theory

*40:本件については過去記事を参照のこと|BI(ベーシックインカム)の政治哲学的根拠、およびJGPの可能性 - rory / 仏教ロック!のプラモデル日記

*41:Would the Job Guarantee be coercive? – Bill Mitchell – Modern Monetary Theory

*42:Some historical thinking about the Job Guarantee – Bill Mitchell – Modern Monetary Theory

*43:フィリップ・ヴァン・パリース 著|後藤玲子、齊藤拓 訳『ベーシック・インカムの哲学―すべての人にリアルな自由を』(1995-2010)

*44:Would the Job Guarantee be coercive? – Bill Mitchell – Modern Monetary Theory

*45:Employment guarantees are better than income guarantees – Bill Mitchell – Modern Monetary Theory

*46:Is there a case for a basic income guarantee – Part 2 – Bill Mitchell – Modern Monetary Theory

*47:Is there a case for a basic income guarantee – Part 5 – Bill Mitchell – Modern Monetary Theory

*48:Would the Job Guarantee be coercive? – Bill Mitchell – Modern Monetary Theory